ナゴタロの感謝日記

名古屋在住の50代前半、サラリーマンの日記です

車いすバスケットボールの益荒男、益荒女たち

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おはようございます

 

昨日は、一日、朝から夕方まで、車いすバスケと、Bリーグのバスケの観戦に行っておりました

プロバスケとも比較して、あらためて車いすバスケについて考える機会にもなりました


昨年から、縁あって、車いすバスケと関わるようになったのですが、最初は義務感から車いすバスケ」を捉えていました

  

でも、「車いすバスケットボールの試合」を一度見ただけで、

バスケットボールと似てるところもあるけど、迫力もあるし、違う魅力があるなあと感じました

 

車いすバスケで特徴的なのは、

・アメフト?のように、車いすを使って相手をブロックでき、ときには激しく衝突して、ひっくり返るような激しさがあること

車いすくるっと回転したり、車輪で滑らかに走ったり、アイススケートのような、スピーディーで華麗な動きをすること

かと思います


そして、プレイヤーの

腰から上は、筋骨隆々のヘラクレスのような身体

下は、機能性の高いマシーンを巧みに操る姿

 

そういう試合を見ていると、理屈抜きで、すごいなあと思います

 


さらに私は、車いすバスケをやっている人」との関わりを通じて、いろいろ感じたり思ったりするようになってきていました

 

最初に出会った人は、今私が住んでいる地域にある女子チームの代表

その、現役選手でもあり、指導者でもある人の方を訪ねたときに、感じたこと

 

障がい者とかそういうことはどうでもいい

ただただ、尊敬できる人に会って、この人や、そこまで真剣に取り組んでいるスポーツ、その人の仲間たちに、私も関わってみたいという自然な気持ちになりました

 

この地域で、車いすバスケを強くしたいという思いがとても強い人で、

まず自分自身、レベルの高い東京に引越して、何年も続けて学んできたり、

選手獲得のために、ラーメン屋の前で、車いすの女性中学生?をスカウトしたり・・・

 

私の話もしっかり聴いてくれるし、自分の考えもしっかりと説明してくれる

何より自分も相手も大切にしようとする気持ちが伝わってくる

 

障がい者を支援するとかいった大それた気持ちは消し飛んでしまいました

 

そして、今関わっている男子チームにも、障がい者バスケチームだからではなく、人としてこれからも関係を続けていきたいなあと思っている人が何人かいます

 

一人は、見るからにちょっと怖そうな感じの人で、顔もいかつくて、身体もひときわ大きく、背もあります

なんとなく・・・・近寄りがたい

 

でも、ちゃんとコミュニケーションをとってくれます

昨日も、私が痩せたことにすぐ気付いて、話しかけてくれました

 

先日、小学生向けの車いすバスケ教室があったときも、この後お話する若い人と一緒に、ずっと子供たちに、丁寧に教え続けてくれます

 

お茶目でもあって、集合写真でもオモろポーズを必ずとる人

 

次の一人は、チームでもかなり若い人ですが、彼はまだ車いすバスケをはじめて2~3年くらい

顔立ちはイケメンです

 

1年半くらい前に見たときには、まだシュートも上手くなくて、チームメンバーからはもっと練習しろとか言われ続けていたような存在でした

周りの人ともかなり年が離れていて、このままではきっとやめてしまうんではと思っていました

 

ところが、今年のはじめくらいからか、2020年のパラリンピックのための国内の若手強化選手に選ばれ、昨日のプレーを見ると、いつの間にかチームの中でも、シュートを一番決める役割になっていました

 

顔つきも、違っていました

でも、決して驕らず、先輩に対しても常に謙虚です

賢さを感じました

 

最後にご紹介する人は、このチームの中の最年長

もともと車いすバスケは、ベテランの選手も多く、このチームにもベテランの方が多いのですが、なんと還暦間近

 

この方はこれまでどちらかというと、ご自身で球を持ってシュートされることにこだわっているなあという印象が強く、後進にもう少しチャンスを上げてはと思っていました

 

ところが、昨日は、相手のゴール下までくると、さきほどの一番若手の選手に華麗なパスをし、コンビネーションで、若手の選手がきっちりとゴールを決めてくれました

 

 

もちろん人間ですから、チームの中でもいろいろな人間模様もあるようです

キレイごとだけではない

でも逆に、それは、どんな世界でもあること

 

僕が、「車いすバスケ」と関わるようになって、気付きをもらったのは、

自分自身の心の中にある、「障がい者」というラベリングがとれてきたということです

 

当たり前ですが、一人一人普通の人

この魅力的な「車いすバスケ」が大好きな人

 

そもそも、自分も含めて、すべての人は、見た目なのか、気持ちなのか、何かは別として、なんらかの障がいを持つ、「障がい者

 

たまたま、ある人たちは足などに「物理的に見える」ハンデをもっているという、個別具体的な話

 

自分にどう向き合っているか、自分の人生を生ききろうとしているかどうかというだけのような気がしました

 

それでは、この辺で失礼します

 

みなさん、また新しい1週間が始まりますね

今日も元気に行ってらっしゃい!

 

追記:昨日より、グーグルアドセンスを入れさせていただいております どうぞよろしくお願いします

 

「型」は大事 でも「型破り」しようよ ~教育と型について~

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おはようございます

 

今日は、少しだけ、皆さんのいやーな、しまっておきたい感情が出てきてしまうかもしれないことをお断りしておきます

 

管理教育という言葉は聞かれたことがありますか?

私の心に暗い影を落とす言葉の一つです

 

そもそも「教育」という言葉に抵抗感があって、今の会社で、人事の仕事をしていた時にも、「研修」に置き換えていました

もちろん、言葉の問題じゃないし、それは小手先の逃げでしかありません

 

実は、本当の意味での「教育」は大事なことだと思います

 

「先生・講師」から「生徒・受講生」への一方通行ではない

教えを受ける相手は、社会的立場とか年齢とかによらない

 

お互いにリスペクトし、ノウハウではなく、気付きを得られるような、

「場を用意する」こと

 

それが、真の教育ではないでしょうか

 

今日は「型」の続きについて書きたいと思います

なぜ、「教育」の話からはじめたかというと、「一見教育なるもの」と切り離せない話だとも、思っています

 

 良い「型」は、大事です

そもそも、衣食住、およそ生きるにあたって、型ががあると「便利」だし、無ければやってられません

 

朝起きたら、顔を洗って、(私はそれからジョギング)、朝ごはん、歯を磨いて・・・

すべて、「型」です

 

朝ごはんは、私の場合、だいたい、ご飯に味噌汁に卵焼き・・・

これも「型」です

 

箸の持ち方も「型」

 

ということで、「型」はなんだかんだ言って、生活の中にあるもの

 

余談ですが、あのスマート・ジョブスも、黒のタートルネックジーンズという服の型を持っていました

 

あえて定「型」化することで、そのプロセス自体をいったん合理化する

そして、

・他の時間に創造的なことをする

・プロセスの一部に創造性を加える

大いに結構なことだと思います

 

 

ただ、やめてほしいのは、「型」人間をつくるような「一見教育なるもの」、巷で「管理教育」と言われているものです

※以下、便宜的に「機械教育」と名づけます

 

生産性の高い工場労働者を育成するために、国家的戦略の下に機械教育を行い、言われたことを唯々諾々と行う人間を生産していく・・・

ちょっと、偏った言い方をしているのはわかっています

 

でも、やっぱり、日本のある時期、ある地域の教育界で、次のようなことがあったのではないか

 

・ナニカ、世の中には「タダシイ」「こうあるべき」ルールをつくった方がよい

 別に何も悪いことじゃない タダシイことなんだから

・そして、それをちゃんとみんなで守るような文化を、子供達に教え込んだほうが良い

・それは彼らのためでもあって、社会からの逸脱者にもならないし、それが私達の使命

・そうすると、日本はちゃんとした国になる、良い国になる、強い国になる

という考え方(宗教?)

 

これは、先生側にとっても便利な考え「型」

「人を力で統制」することができるという「成功」経験は、蜜の味

 

きっと「非行」に手を焼く、どうすればいいのかわからない、自信の無い先生にとっては、万能感が呼び覚まされる

そして、ますますエスカレートし、その考え方(宗教?)に頼っていく

 

なぜこういうことを言うかといえば、

自分自身や妻、友人の経験、そして、いまいる会社での経験など照らし合わせると、

やっぱり機械教育があって、それが悪しき影響をもたらしたのではと感じるから

 

もちろん、どれだけ影響を受けるかは、人それぞれですが

 

今、僕が会社でやっていることは、自分自身の型破りと、周りのメンバーの型破り

 

さっきの朝ごはんの話でいくと、

学生時代を思い出すんですが、バンコクのご家庭に泊めさせてもらったとき、

トムヤムクンが出てきた

 

僕は、トムヤムクン大好き人間を自負しています

 

でも、さすがに朝は、きっついかもという思い

一方で、ちょいオモロな感じというか、

暑い気候の中で、スパイシーなスープをいただき、頭を活性化させるのもありかもと

 

「型」は、便利だからある

でも、所変われば「型」もかわるし、自分で「型」を選べるオモロさもある

 

「これが正しいんだから、守らなければいけない」というのは、

逆に言うと、為政者というか、組織の長というか、長いものというか、

何者かの戦略に飲み込まれているだけ

 

そのルールを守っていれば、守ってあげるよ・・・という言葉に、

「それでいいんです」と言い切る、あるいは思い込む、あるいはこわいので、その他に目をつぶる人たちは、悲しすぎる

 

 

「型」を遵守することだけの意味の無さは、防災訓練やBCPにも、よくありがちなこととして、現れます

 

防災訓練で、大声上げて号令して・・・シナリオ通りの訓練は完全にアウト

 

いかに「型」というか、考え方を整理し、備品を準備しておくか

「シュミレーション」(想定)を行っておくか

でも、結局、柔軟な判断力や胆力をもった社員がいるかどうかで決まる気がします

 

そもそも、型守るのが得意なのって誰でしょうか?

AI

いや、AIですらないかもしれません、機械そのもの

そうであれば、型を守る+αくらいの人であれば、AIに置き換わってしまうことになる

(あー今日は、挑発的な感じでごめんなさい)

 

ということで、職場では「型破り」のリーダーとなって、「型破り」を奨励しています(笑)

もっとも、「型破り」が目的じゃないです、念のため

 

大事なことは、自分で「目的」を考えて、判断すること

「型」をそのまま使うのもよし

「型」にアレンジを加えるもよし

時には、ゼロベースで考えるのもよし

 

ちょっと今日は偉そうなことを言ったかもしれないです

でも、これは自戒をこめてです

 

自分の娘に対する、家での教育についても、そうです

「型」のダークサイドが、口をあけて待っている

 

「早く起きなさい」「早く勉強しなさい」より、

難しいかもしれないけれど、まず自分が早く起きる、本を読む、勉強する、娘と話する

一緒に図書館にいって、二人で読める本を借りる

 

土曜日12時の吉本もいいけど、できるだけテレビを消す

ギャグをかましながらも、一緒に勉強する

 

今、娘は塾にいっておりません

帰ってきたら、どれだけ一緒にアドリブを楽しんで、どれだけ気付きをもらえるか・・・ホンマの勉強が、たくさんできればと思います

 

では、みなさん

ちょっと寒いですが、今日も元気に、良い一日をお過ごし下さい!

 

 

アウトソーシングは、AIが発達すれば解消するのか

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おはようございます

今日は、3連休の初日ですが、どうも休日モードにすっきり入れません

いよいよ11月も下旬に入り、年末までに「片」をつけたいと思っている仕事は、馬力をかけてやり遂げていく時期になって参りましたが、少し気が進まない仕事があります

 

その一つが、私がいる部署の庶務業務の、外部のパートナー会社さんへのアウトソースへの移行の仕事です

背景として、今会社は、できるだけ収益創出と関わらない業務を、外部の会社に移行しようとしています

 

その業務というか、作業は、「型」が決まっていて、ある意味、誰がやってもいいようにも見えます

内容としては、従業員向けの社内サービス、たとえば備品の貸し出しもそれに含まれます

 

そして、それまでその庶務業務をかなり担当してくれていた人は、「私のやることがなくなる」と言います

もちろん、代替の仕事を考えますが、これが果たしてありたい姿なのか・・・

 

作業によっては、餅は餅屋という性質で、外部にお任せした方が良いものもあるかもしれません

それはパートナーシップとして、今後むしろ多くなってくる考え方だと思います

 

でも、今回のアウトソースの内容だけ考えると、将来的にはAIで代替できるものばかりのような気がします

 

彼女の価値は、庶務業務の中の「繰り返し作業」そのものではない

そうあってはいけない

 

社内で車を借りる人に、”必要事項が書かれた申請書と引き換えに鍵を渡す”、”承認印を上司にもらう”ことは、確かに正直、価値は無い

 

ロボットであったり、電子決済システムで十分

 

私は苦手ですが、「気を利かす」、「気を渡す」ということではないかと思います

 

ちなみに「気を渡す」というのは、私の造語ですが、例えば、車の鍵を渡すときに、「気をつけていってきてね」という気持ちを、相手に届けるという意味です

 

本来、社員全員に対し、「かゆいところに手が届くような気回し、取り回しができる秘書」が、あるべき彼女の姿

 

そのために、彼女の"下に”、AIたちを集結させて、AIを使いこなしてもらって、八面六臂の活躍をしてもらう工夫をし、あくまで従業員とのコミュニケーション窓口は彼女自身であるべきでなかったかと思う

 

業務委託をお願いする会社の人のことも気になる

面倒な仕事を押し付けて、ともかく作業をこなしてくださいというのでは、いろんな意味で本末転倒

 

いったんお願いする以上は、お手本になってもらいたい

超合理的に作業をてきぱき片付けて、改善していく姿

いきいきと、従業員と応対する姿をみせてほしい

 

でも矛盾するのは、「型」を守ってもらうという、業務委託の限界がある

合理化の提案をしてもらって、「型」の改善をめざす一方、「気を利かす」とか「気を渡す」というところは、期待してはいけない面もある

 

だからこそ、本来あるべき姿として、「気」の交換が含まれる、コミュニケーションの窓口は、私たち自身でやりとげたいこと

 

今は、いったん、AIに任せられる業務を見定めるために、作業を見える化し、いったん外部の人のお力を借りて、合理化していく、お手本を見せてもらう

 

そう気持ちの整理をつけたいと思います

 

ここから先は、プロローグです

 

それでは、「型」にできることは、すべてAIに任せていいのかというと、人間、そう毎日24時間、「創造」ばっかりできないし、それがいいとも限らない

 

自称、「創造的」でありたいと思っている私は、実は「型」に守られている存在だとうすうす気付いています

 

この続きは、また今度にさせていただきたいと思います

 

それでは、皆様良い3連休のスタートを

お仕事の方は、寒いですが風邪を引かないよう気をつけて

いってらっしゃい

 

幸せのちから(THE PURSUIT OF HAPPYNESS) :自分の可能性を自分が信じること、そして働き方改革の参考に!?

幸せのちから (字幕版)

みなさんおはようございます

今日も穏やかな朝です 

深夜に一度公開しましたが、追記することにしました

 

皆様は、この映画(DVD)をご覧になったことはありますでしょうか

 

邦題は、幸せのちから

原文は、THE PURSUIT OF HAPPYNESS

    (HAPPINESSではないところに、特別な意味をこめているのか)

 

クリス・ガードナーという男性が、貧困から立ち上がって、証券界で上り詰めていくという、実在にあった男性の半生を描いた物語です

 

私がこの映画で良かったなあと思ったこと

 

それは、主人公と5歳の男の子(主演男優の実際の子供)との掛け合いが、

父親から子供へのつきることのない愛情

そして子供から父親に対する信頼

じんわりと感じさせて、心が温まったこと

 

これだけでも見る価値があります

 

 一方、メインテーマではあるのですが、気持ちがひっかかったのは「アメリカンドリーム」に対する手放しの礼賛が感じられること

 

「お金持ち」になること=「成功すること」=「幸せ」とためらいなく言い切っているように見えることです

 

主人公は、お金が無いが故にすごく苦労をしていて、金融ブローカー達が活き活きしていて、高級車を持っているなど、いかにも幸せそうにみえる様子にあこがれます

 

どうしたら、彼らみたいに幸せになれるのかと思い、追求しようと思います

 

また、随所に、アメリカの独立宣言の作者でもあり、建国の父ともされる、トマス・ジェファーソンの言葉が引用されます

 

「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているという こと」

 

We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.

 

何ゆえ、ジェファーソンは「幸福」でなく「幸福の追求は」と書いたのだろうと、主人公は、ちょっと、うらめしくなります

 

でも、ここで言いたい

 

幸福=お金持ちになること

お金持ちになろう努力すること=幸福の追求というのは、

本当にそうなの?

 

もちろん、some moneyは必要でしょうけれど

 

主人公が男の子に対して、「幸せか?」ときく場面があり、「お前(男の子)が幸せなら、オレも幸せだ」と言います

 

このことから、お金持ちになることが必ずしも幸せのすべてではないとも読取れます

精神的な幸せ

それが、自分の原動力になって、目に見える幸せ、お金持ちになろうしているとも読み取れます

 

一方で、トマス・ジェファーソンの名言の中に、さらに次のような言葉があります

 

幸せを与えてくれるのは、富でも豪華さでもなく、穏やかさと仕事である。

It is neither wealth nor splendor, but tranquility and occupation which give happiness.

 

ここから、トマス・ジェファーソンは、独立宣言において、幸福の追求=お金持ちになる道の追求と言っていたのではないと推測されます

 

アメリカンドリームを実現して、幸せになろうとする主人公だけでなく、目立たなくても、穏やかな生活を愛し、仕事に打ち込んでいて、それを幸せと感じている副主人公を登場させてもいい

 

むしろ、一緒に描いてくれれば良かったのに(勝手なこと言ってますが)と思いました

 

最後に、別の形の幸せについて

この映画で一番気に入ったシーンをお伝えします

 

子供とバスケで遊んでいるときに、息子に対して、「あんまりバスケにのめり込むなよ、自分も向いていなかったから、お前も向いていない」と言います

 

すると、息子が元気をなくして、しょんぼりします

 

私も心の中で、「あーあほやなー なんでそんなことを言うんやろ・・・」と呟くと、それを主人公が聞いていたのか(そんなことはないですが)

 

次に、主人公が息子に対して、思い直して言葉をかけ直します

 

いいか、誰にも、お前はできないだろうと言わせるな

たとえ、相手がパパであってもだ

  

ここでは、夢に向かってひたむきになること、自分の可能性を自分が信じ続けることの大切さを語ってくれています

つまり、「天職(仕事)」を得るために、今自分が努力できることに真摯に向き合えることも、幸せの一つ

 

実は、この間の日曜日、古くからの友人にあったときに、ちょっとモチベーションが下がってしまうことがありました

 

実はその時に会った二人は、サラリーマンではなく、一人は海外で独立、

もう一人は、会社をやめて、日本の政府機関ですが海外で働いています

 

そのうちの一人は、私を思っていってくれたんでしょうが、私の性格を考えると、転職や独立はしない方がいいよと言います

 

でも、それは「冷静に行動した方がいい」というアドバイスだと、自分の中で読み替えました

 

私は、今の生活の中にある

・堅実な生活の中の「穏やかさ」

・「今の仕事」

投げ出すわけではない

 

ただ、可能性を否定するような言葉には屈しない

努力を継続して、自分の刀を磨きつづけていんだと、決心しました

 

あと追記を少し書かせて下さい

働き方”改革の参考・・・というか、”仕事に取り組む姿勢”の参考にもなります

 

主人公は、”無料の教会宿泊所に泊まるために、早く教会の前の待ち列に並ばなくてはいけない”ために、猛スピードで集中して仕事をこなしています

 

子供がいる

何か、プライベートで時間を確保しなければならない

そういうことは、むしろ「仕事」に集中するためのスパイス

 

私は、むやみな精神論者ではないつもりですが、

時間を言い訳にはするには、まだ100年早い

 

やりたいこと、もちろん大事と自分が思えること、が最初にあって

そのために、人間はものすごい力を発揮できるポテンシャルを持っているんだと思えました

 

それでは、皆さん、今日も元気にいってらっしゃい

 

秋の京都、三十三間堂の阿修羅像、正義に固執しすぎると・・・

 

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 京都フリー写真素材

 

おはようございます

昨日は、学生時代からの友人に会いに、京都に日帰りで行ってきました

そこで、京都駅からも15分くらいで歩いていける三十三間堂まで足を伸ばしました

 

学生時代、関西に住んでいましたが、まったく訪れたことがありませんでした

 

まずは、外観ですが、横120mというスケール感があります

京都の街で現存している建物としては2番目に旧い建物で、1266年築(鎌倉時代

元々は、後白河上皇に対して、平清盛1164年に寄進したもので、80年余りで焼失したもののの、すぐに再建されたそうです

 

そして、中に足を踏み入れると、千体もの金色の観音様が、縦横に整然と立ち並ぶ姿には圧倒されました

この内、124体は、1164年創建時のものだそうです

 

その観音様をお守りする、インド起源の神々に由来する仏像が、周りを取り巻いています

その1つが、阿修羅像

 

興福寺の阿修羅像は、少年を模しているといわれるだけあって、かなり上品な感じがしますが、三十三間堂のそれは、言葉通り、修羅そのもの、憤りに満ち満ちています

(写真が無くてごめんなさい、下の「仏像リンク」の二十八部衆の項目から探せます)

【見仏入門】No.2 京都・三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)の仏像/国宝千手観音坐像・千手観音立像・二十八部衆など | 仏像リンク

 

たまたま、そこで、あるツアーのガイドさんの話を横で聴くことができました

 

阿修羅は、もともとは天界の神様

でも、六道では、人間道の下にある

それはなぜか

 

六道とは、仏教の考え方で、輪廻転生する6つの世界のことで、

上から、天道、人間道、修羅道畜生道、餓鬼道、地獄道とあります

 

天道は苦しみが無い清浄な世界

その下が、今私達がいる人間道

さらに続けると、下には、修羅道をはさんで、畜生道が、虫や動物の世界、

餓鬼道は、常に飢えと乾きに苦しむ世界

地獄道は、罪を償わせるための世界

とされます

 

修羅道はというと、終始戦い、争う世界

苦しみや怒りは絶え間ない

そして、その苦しみは、自分自身に帰結しているとされます

 

阿修羅は、そこにちりが一つ落ちていても、許せないそうです

自分が正しいと信じる正義、それに合わないものに対して生じる怒り、憤り、そして正そうとする行為

 

宮沢賢治といえば、「銀河鉄道の夜」をはじめ、清冽な文学を書き続けた作家という印象がありますが、本人は、怒り、憎しみ、嫉妬といった感情から脱しきることができずに、つねに焦燥感に駆られていたという、話をきいたことがあります

 

煩悩から一番遠い所にいたように見える、宮沢賢治でさえも、むしろ対峙し続けなければならなかった、そういった感情

 

そもそも、戦争は、兵器産業が人為的に起こしているという考え方もありますが、”報復”も原因にあります

 

たとえば、貧困、家族に危害を加えられたことなどへの「怒り」「憎しみ」「嫉妬」が、本来正義はこうあるべき、という修羅が引き起こしています

 

話が少し大きくなりましたが、自分自身も修羅と同じ面を持っていると思います

 

メンバーに対して、"良かれ”と思って、他のメンバーもいる職場のデスクで、すこしきつい口調で言ってしまいます

 

しかも家に帰ってくると、何でわかってくれないんだろう、せっかく言っているのに、なんであんな態度なんだとか・・・

 

2重の意味で問題がありました

 

一つは、たまたま昨日あった友達の一人はインドネシアで働いていますが、気をつけていることとして、みんなのいる前では叱ったりしないそうです

 

タイでもそうですが、日本人も含めて、アジア人は、農村などの共同体で、みんなと同じであることを重んじ、またプライドも高いので、人前で恥をかいたという状況になるのはすごく傷つく

 

また、もう一つは、まさに、修羅道で、自分の「正義」を振りかざしていることに他ならない

 

もちろん人間は弱いものです

 

自分が自分とする約束

これはみんなで決めたんだからという信頼を崩したくないという思い

は必要

 

でも、こうしなきゃいけないよ、とか、こう考えるべきであるといったべき論は

どれも自分発信の正義の延長線上にしかすぎない

 

教え諭すならまだ良くても、職場でときに「これが相手にとっても良いこと」だからと”敢えて厳しくやっている”ことは、自己満足に過ぎないということを気付かされました

 

三十三間堂の阿修羅像と、周りの人にも教えてくれたガイドさん、有難う

 

秋の京都は、本当にびっくりするくらい人が多かったけれど、美しい紅葉よりも何より、「正義に固執しすぎることの愚かさ」を学びました

 

今日はすこし肌寒いですが、晩秋の穏やかな一日になりそうです

 

皆様の今日一日が、穏やかで満ち足りたよい時間になりますように

「職場」で祈るということ

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おはようございます

昨日、メンバーの一人が、会社の仕事で行った神社から、お札をいただいてきました

 

お札なので、粗末にはできないと思う一方、今の会社のオフィスには神棚が無く、さてどうしようということになりました

 

これまでも、そういうことがあったような気がしますが、失礼ながら、なんとかなっていました

今回は上位マネジメントから、大事にするようにという指示もあり、うやむやにはできません

 

神棚は、榊を用意したり、毎日お水を取り替えたり、そもそも一回始めたらやめることができない

お札立てで許してもらえないか・・・などとも考えたのですが、

 

交通安全祈願に行っていただいてきたお札ということもあり、役員車のドライバーさんの控え室にお渡しすることにして、一応解決しました

 

私が、会社で「祈り」ということを考える上で思い出すのは、前職で、私が発電所に出向していたときの、所長さんの姿です

 

その発電所は、神奈川県の茅ヶ崎という湘南の街から、すこし内陸に入った工業団地の中にある、小さな発電所でした

 

当時は、ちょうど電力自由化の走りで、工場の遊休敷地などを利用して、発電事業を行うことが試行されていました

 

その発電所は、毎朝ガスタービンを立ち上げて、発電を開始し、夜、ガスタービンを落として終了するという、いわゆるピーク対応型のものです

 

今改めて思うと、毎朝、本当に立ち上がるかどうかという、緊張の毎日が続く環境でした

 

私は、別の会社からでしたが、その発電所は、電力会社から、いわゆる現場の方に出向していただいて、運転をしていただいていました

 

所長さんも、前職の大電力会社でずっと発電一筋でやってこられた方でした

 

毎朝、小さな事務所の所長席の横にある神棚

欠かすことなく、毎朝真剣な面持ちで祈っている、60歳を越えた所長さんの姿

 

祈りは、おそらく、無事に毎日発電が続けられること、そして、発電所で働くメンバーの健康だったのではないかと思います

 

その背景にあると思ったことは、そこにいる現場の方々の、「絶対に電気を止めてはいけない」という強い使命感でした

 

ある朝、これまでにないような寒波がきて、身を震わせて発電所に行った時に、事務所のコンロで沸かした、やかんのお湯を、リレーで持っていって、皆で一生懸命に、ガスタービンの装置に掛けている姿がありました

 

薬液が凍り付いてしまって、動かなくなってしまったためです

 

自然のおそろしさも感じました

いくら、日頃メンバーの一人一人が真剣に業務に向き合っていても、メンテナンスに取り組んでいても、こんなことがあるのか、と思いました

 

そもそも、我々は自分自身でコントロールできないことの方が多い

 

地震や台風をはじめのような大自然の災害には、人の力はかなわない

急に飛び出してきたり、ぶつかってくるかもしれない

 

物理的なことだけでなく、

周りの人の気持ち

そもそも、自分の気持ちでさえも

 

コントロールはできない

 

人事を尽くして天命を待つという言葉があります

 

自分に恥ずかしくないことを続けているからといって、うまくいくとは限らない

あとは祈るしかない

 

今週、私は、もやもやしていることが続いていました

下の「つぶやき」にもふれましたが、ひとつは、上位マネジメントに対する思い

もうひとつは同じ職場のメンバーに対する思いでした

 

www.nagotaro.work

 

昨日、どちらも、わだかまりを解くことができました

 

真剣に伝えること

真剣に聴くこと

それしか、私にはできませんでしたが、

 

おかげさまで、2つのわだかまりは、ちょっとしたことで溶けていきました

 

その時、自分ではあまり意識してはいませんでしたが、

相手がどう受け取るかは委ねよう

自分がどうこうできない、いろんな意味で待つしかない

とも思っていました

 

自分でコントロールできないことは、天命を信じて委ねるしかない

 

それは、何か見えない力に対する信頼であり、

「祈り」そのものではなかったこと思います

 

やっぱり、どこまで文明が発達しても、「祈るということ」は、

切り離せない心の働きなのではないでしょうか

 

それでは、皆さん、今日も元気にいってらっしゃい

ご安全をお祈りします

発電所では、この言葉がよく使われていました)

「富」を「溜めること」・・・弥生時代に味わったうれしさ

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おはようございます

 

今、朝5:30くらい 

冷え込みから、暖房が手放せなくなってきました

この後行くジョギングも、走り始めは寒いです

でも、だんだんと身体が温まってきて、スピードが上がってくると、意識が向くのは

あごの周りとか、お腹から胸にかけての、「余計なもの

 

あーこんなに溜め込んでしまっているんだなー

でも、もしかすると、食べ物がなくなってきたら、必ずしもそれは「余計なもの」ではないのかなーとも思いました

 

そもそも、溜めるということはどういうことなんでしょうか

 

旧石器時代から、縄文時代へ、そして弥生時代

 

その日暮らしから、土器を手にして、木の実や乾燥した食糧を貯蓄するようになり、

稲作をはじめて、はじめて安定した大量の穀物をきちんと溜められるようになった

 

生産した穀物を溜めることで、狩りが不調でも、その年凶作であっても、溜めていた食糧を食いつないで、人が長く生きられるようになった

 

富が組織的に集積され、記録によって知識が継承され、文化、文明も発達する

 

僕は、弥生時代というか、稲作文化とか、農耕文化が生まれたということは、人類にとって、本当に大きな大きな意味を持っていたんじゃないかと思います

 

はい

富を溜めること、溜められることって、ハッピーにつながることなんです・・・

と言い切っていいかというと

 

溜めていた食糧や冨を奪うために、戦争が起こるようにもなった

 

およそ歴史が遡れる限り、溜め込むことばかり執心する人物も、民衆から非難の眼差しでみられる

贅沢を尽くしていた古代から中世の王様、江戸時代の悪徳商人、現代の大富豪まで、

 

機械でも衣料品でも、在庫を持ちすぎることは良くない

できるだけ在庫は少なくして、売れた量に応じて製品が作られるほうが良い

 

タンス貯金でなく、お金がうまく投資にまわっていくことも、経済の発展には必要

スタートアップした企業、志のある起業家を応援するための活きたお金

 

家にあふれかえる本には本棚

会社にある膨大な紙資料にはキャビネが必要

 

家の本棚の本は、メルカリで、読んでくれる次の人に渡す

会社にある紙資料は、働き方改革PDF化して、シュレッダーでリサイクル原料に

 

段々見えてきたこと

 

1.「富を生み出すことは悪いことではない」

・毎日、おいしいご飯を食べられて、あったかい服を着て、ゆっくりと寝れる家があるのは、みんなで富を生み出しているから

 

2.「富を蓄積するのも、生き伸びるために必要(防衛本能)」

・人間は本能で、子孫を生き延びさせるためにすること

・昔で言えば凶作、現代で言えば、働けなくなったときのリスクヘッジ

・大地震が起こったらどうする? 防災備品は大事、備えあれば憂いなし

 

3.「富は生み出しすぎると、価値が下がる

・需要以上に供給があると、むしろ資産から要らないものに

例)不良在庫、私のあごやお腹周りについているもの

 

4.「富には負の側面もある」

<物理的>

・管理も含めて、コストがかかる

 (モノでためるなら、大昔は高床式倉庫、現代では、高い賃料)

いらないものも溜め込んでしまう→断捨離で気付く

 <心理的

ジェラシーの対象(持たざる者から持てる者への)

戦争で奪おうというターゲットにされる

 

5.「富はまわしていくのが素敵かも」

・そもそも商人は、ニーズがある場所にモノを循環することで付加価値をつくる

・工場生産では、在庫を少なく、ジャストインタイムで生産、流通

貯蓄から投資へ、企業家へのクラウドファンデイング

・メルカリやカーシェアなどの、シェアエコノミー

 

ということで、理想を言えば・・・

しゃかりにきならずに、でもちゃんと働いて富を生んで

溜めこみすぎず、

必要な人が受け取れるようにまわしていくのが、

心地いい、「富」とのつきあい方でしょうか

 

私も身体の「富」を「溜めこみすぎず」に、ジョギングを楽しみたいと思います

(ちょっと、ずれてしまったでしょうか・・・)

 

それでは、今日も一日、皆さんに、富がまわりますように