ナゴタロの感謝日記

名古屋在住の40代後半、サラリーマンの日記です

「型」は大事 でも「型破り」しようよ ~教育と型について~

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おはようございます

 

今日は、少しだけ、皆さんのいやーな、しまっておきたい感情が出てきてしまうかもしれないことをお断りしておきます

 

管理教育という言葉は聞かれたことがありますか?

私の心に暗い影を落とす言葉の一つです

 

そもそも「教育」という言葉に抵抗感があって、今の会社で、人事の仕事をしていた時にも、「研修」に置き換えていました

もちろん、言葉の問題じゃないし、それは小手先の逃げでしかありません

 

実は、本当の意味での「教育」は大事なことだと思います

 

「先生・講師」から「生徒・受講生」への一方通行ではない

教えを受ける相手は、社会的立場とか年齢とかによらない

 

お互いにリスペクトし、ノウハウではなく、気付きを得られるような、

「場を用意する」こと

 

それが、真の教育ではないでしょうか

 

今日は「型」の続きについて書きたいと思います

なぜ、「教育」の話からはじめたかというと、「一見教育なるもの」と切り離せない話だとも、思っています

 

 良い「型」は、大事です

そもそも、衣食住、およそ生きるにあたって、型ががあると「便利」だし、無ければやってられません

 

朝起きたら、顔を洗って、(私はそれからジョギング)、朝ごはん、歯を磨いて・・・

すべて、「型」です

 

朝ごはんは、私の場合、だいたい、ご飯に味噌汁に卵焼き・・・

これも「型」です

 

箸の持ち方も「型」

 

ということで、「型」はなんだかんだ言って、生活の中にあるもの

 

余談ですが、あのスマート・ジョブスも、黒のタートルネックジーンズという服の型を持っていました

 

あえて定「型」化することで、そのプロセス自体をいったん合理化する

そして、

・他の時間に創造的なことをする

・プロセスの一部に創造性を加える

大いに結構なことだと思います

 

 

ただ、やめてほしいのは、「型」人間をつくるような「一見教育なるもの」、巷で「管理教育」と言われているものです

※以下、便宜的に「機械教育」と名づけます

 

生産性の高い工場労働者を育成するために、国家的戦略の下に機械教育を行い、言われたことを唯々諾々と行う人間を生産していく・・・

ちょっと、偏った言い方をしているのはわかっています

 

でも、やっぱり、日本のある時期、ある地域の教育界で、次のようなことがあったのではないか

 

・ナニカ、世の中には「タダシイ」「こうあるべき」ルールをつくった方がよい

 別に何も悪いことじゃない タダシイことなんだから

・そして、それをちゃんとみんなで守るような文化を、子供達に教え込んだほうが良い

・それは彼らのためでもあって、社会からの逸脱者にもならないし、それが私達の使命

・そうすると、日本はちゃんとした国になる、良い国になる、強い国になる

という考え方(宗教?)

 

これは、先生側にとっても便利な考え「型」

「人を力で統制」することができるという「成功」経験は、蜜の味

 

きっと「非行」に手を焼く、どうすればいいのかわからない、自信の無い先生にとっては、万能感が呼び覚まされる

そして、ますますエスカレートし、その考え方(宗教?)に頼っていく

 

なぜこういうことを言うかといえば、

自分自身や妻、友人の経験、そして、いまいる会社での経験など照らし合わせると、

やっぱり機械教育があって、それが悪しき影響をもたらしたのではと感じるから

 

もちろん、どれだけ影響を受けるかは、人それぞれですが

 

今、僕が会社でやっていることは、自分自身の型破りと、周りのメンバーの型破り

 

さっきの朝ごはんの話でいくと、

学生時代を思い出すんですが、バンコクのご家庭に泊めさせてもらったとき、

トムヤムクンが出てきた

 

僕は、トムヤムクン大好き人間を自負しています

 

でも、さすがに朝は、きっついかもという思い

一方で、ちょいオモロな感じというか、

暑い気候の中で、スパイシーなスープをいただき、頭を活性化させるのもありかもと

 

「型」は、便利だからある

でも、所変われば「型」もかわるし、自分で「型」を選べるオモロさもある

 

「これが正しいんだから、守らなければいけない」というのは、

逆に言うと、為政者というか、組織の長というか、長いものというか、

何者かの戦略に飲み込まれているだけ

 

そのルールを守っていれば、守ってあげるよ・・・という言葉に、

「それでいいんです」と言い切る、あるいは思い込む、あるいはこわいので、その他に目をつぶる人たちは、悲しすぎる

 

 

「型」を遵守することだけの意味の無さは、防災訓練やBCPにも、よくありがちなこととして、現れます

 

防災訓練で、大声上げて号令して・・・シナリオ通りの訓練は完全にアウト

 

いかに「型」というか、考え方を整理し、備品を準備しておくか

「シュミレーション」(想定)を行っておくか

でも、結局、柔軟な判断力や胆力をもった社員がいるかどうかで決まる気がします

 

そもそも、型守るのが得意なのって誰でしょうか?

AI

いや、AIですらないかもしれません、機械そのもの

そうであれば、型を守る+αくらいの人であれば、AIに置き換わってしまうことになる

(あー今日は、挑発的な感じでごめんなさい)

 

ということで、職場では「型破り」のリーダーとなって、「型破り」を奨励しています(笑)

もっとも、「型破り」が目的じゃないです、念のため

 

大事なことは、自分で「目的」を考えて、判断すること

「型」をそのまま使うのもよし

「型」にアレンジを加えるもよし

時には、ゼロベースで考えるのもよし

 

ちょっと今日は偉そうなことを言ったかもしれないです

でも、これは自戒をこめてです

 

自分の娘に対する、家での教育についても、そうです

「型」のダークサイドが、口をあけて待っている

 

「早く起きなさい」「早く勉強しなさい」より、

難しいかもしれないけれど、まず自分が早く起きる、本を読む、勉強する、娘と話する

一緒に図書館にいって、二人で読める本を借りる

 

土曜日12時の吉本もいいけど、できるだけテレビを消す

ギャグをかましながらも、一緒に勉強する

 

今、娘は塾にいっておりません

帰ってきたら、どれだけ一緒にアドリブを楽しんで、どれだけ気付きをもらえるか・・・ホンマの勉強が、たくさんできればと思います

 

では、みなさん

ちょっと寒いですが、今日も元気に、良い一日をお過ごし下さい!