ナゴタロの感謝日記

名古屋在住の50代前半、サラリーマンの日記です

命を受け継ぐということ

滝への小道沿いのシダ

 


1.キャプテンハーロックの言葉


もう2-3カ月以上も前ですが、、あるベンチャー施設が主催したセミナーの1年後のアルムナイで、アニメーションの話になりました 


セミナー自体も面白く、アート思考、自己分析、最後は将来の夢といった流れで、ペアや4人ぐらいのワークショップが沢山ありました

 

参加者は高校生から自分のような中高年まで、幅広かったですが、高校生や大学生の発言が鋭くて、個性や能力に年齢など関係ないということを実感しました

アルムイナイで会った方は年齢は40代の男性ですが、学生時代は宇宙について研究していた技術者の方です

 

昔のアニメにも、最近のアニメにも、おそろしく通じていて、国内の優れたアニメーションについて、社会のあり方や人の生き方ということと重ねて語ってくれました

その時に彼が教えてくれたのは、銀河鉄道999でのキャプテンハーロックが、主人公の星野哲郎にかけた言葉

「鉄郎。例え父と志は違っても、それを乗り越えて若者が未来を作るのだ。親から子へ。子からまたその子へ血は流れ、永遠に続いていく。 それが本当の永遠の命だと、俺は信じる。」

主人公の少年 星野哲郎が、永遠の命を手中にできる機械人間になるために旅に出ていることをご存じの方もおられると思いますが、それを覆す言葉でした

 

そして、すこし解釈が違うかもしれませんが、今私は次のように考えています

 

必ずしも血縁がなくても、後世の人あるいは周りの人に、智慧を渡していくこと、思いを繋いでもらうことが、命を受け継ぐということが大切ではないか

 

アルムナイで会った人もそう言ってくれたように思います

 

そのためにも、まず自分自身が、自分の魂に正直に生きることが大切なのではと思います

 

2.運転者

 

 

著者の喜多川泰さんは、私と同じ1970年生まれ

神奈川県で学習塾を開かれていたそうです

以前から、この方の本はかなり読んでいたのですが、

「運転者」を最近再読し、さきほどのエピソードに近いことを感じました

すこしネタバレになってしまいます

そして、あまり書きすぎると、著作権に抵触するかもしれませんが、以下にエッセンスを書かせていただきます

 

主人公のおじいさんは、第二次世界大戦で、米軍と戦っていて、サイパン島で明日突撃というときに、戦友にこう話します

「うちの蕎麦は水が美味いから、他のどこよりも美味い」と

そこで、戦友から、「最後にそれを食べたかったんだろうな」と言われたときに、

俺には生まれたばかりの息子がいる。あいつが食ってくれるからいいんだ。あいつに蕎麦を食わせるために、俺は明日死んでいくのさ」と、そう笑ったと書いています。


戦後の復興や発展を見ることなく人生を終えた、そのおじいさんの唯一の願いは、「息子を守ってやりたい」ということ


運は貯めていき、それを使う

自分が使わなくて貯めたら、それを誰かが使ってくれる

 

また、このようなことを書いてくれています

 

誰かの努力、ひたむきな姿勢は、他の人に幸せをもたらす力がある

 

世の中は誰かが頑張る姿からもらったエネルギーの集合体

結果からもらったエネルギーの集合体じゃない

そんな大人が集まって仕事をしている、そのエネルギーがあるから、社会を動かしている

 

実際に今の自分がやった努力の成果が自分に対して表れるのは、普通の人が考えているよりもずっとあとになってから

しかも、その成果は自分に表れるとは限らない

むしろ自分の周りの大切な人とか、次の世代とか、・・・

 

自分の人生が延々と続く命の物語のほんの一部であるってことを知らない

 

でも、受け継いでいくのは命だけではありません

あなたは、自分だけじゃない誰かが作った社会に生まれてきて育ちました

 

たくさんの血と汗と涙、そして努力、極論、命が費やされて作られてきたものです

<あった>ものではなく、命と引き換えに<作られた>ものなのです

 

ここまでの引用とさせていただきます

 

3.自分の欲との違い

 

喜多川さんが書かれたことは、社会の一面にすぎないかもしれません

 

資本主義の論理によって、お客さまにより高い値段でより沢山の商品やサービスを買っていただく

 

それは、善意でもなければ、社会貢献という考え方でもない

自分の給料や儲けが多くなればいい

良い意味でも悪い意味でもなく「欲」が世の中を動かしている

 

そういった一面もあると思いますし、否定するつもりはありません

 

一方で、私自身は、

自分のWILLやCANを大切にしながら、使命感をもち、ビジョンをつくり、社会の誰かのために働いていく、そう考えた方が幸せな気がします

 

また話がとびますが、最近、特攻隊として、鹿児島の基地から沖縄に向かった、当時の若者たちのことを本で読んで考えることが多いです

 

彼らの言動や手記を通じた考えや思いを読むと、たとえ今の境遇がどうであっても、

自分が進む道の先に「死」があるのか、数えきれない可能性の「生」があるのか

の違いの大きさを感じます

 

「運転者」でいうところの「プラス思考」、すなわち「運を貯めていく」ことで、社会にプラスを残していく意義に身を投じて「生きる」ことが大切ではないかと思います

 

なお、一言だけ付け加えますと、宗教や国家などの装置により、人為的に「大義」がつくられ、その意義に殉じるということにならないための、智慧は必要だと考えています

 

また、世の中に蔓延するプロバガンダ、コピーライト、広告・・・

目先の欲におぼれて、安易に身を委ねることが危険であることも勿論です

 

もちろん、欲も大切です

たとえば食欲が湧きおこらなければ、死んでしまいます
そういった欲は、正しい間違っているというよりも、実際に自分の中に厳然としてあります

 

そして、これまでの人生を顧みて、欲にとらわれて、会社をうらんだり、自分の身を傷つけるようなことを沢山してきています

 

そういう意味で、まったく言う資格はないのですが、ときには弱い自分を見せながらも、「命を受け継ぐ」という言葉をかみしめ、自分の奥底にある思いを大切にしていきたいと思っています

 

今日も読んでいただき、ありがとうございました

 

ナゴタロ

名鉄電車と月