ナゴタロの感謝日記

名古屋在住の50代前半、サラリーマンの日記です

「自然に学ぶ子育て」を選ぶ、3人の物語り ー 最初は映像作家の方のお話です ー

都内の神社

みなさん、こんにちは!
8月がはじまりました 

麦わら帽子、虫かご、小川のせせらぎ、子供たちが一年の中で、一番気持ちを解き放つ夏休み、真っただ中です

閑話休題

ことさら自然の重要性を強調するまでもなく、世間はSDGsを喧伝し、自然との共生 - 経済の維持発展と自然保護の両立を、お題目に掲げています... (固い表現でスミマセン)

 

ややとげのあるように聞こえたらごめんなさい

それは、いつも表面的な理解や発信をしがちな自分への戒めに他なりません

ここ2,3カ月の間に、自分自身や子どもの生まれ育ちを振り返りながら、自然をモチーフに、子育てという分野で、人の話を聴く機会がありました

 

どちらかというと、何気ない会話の中で、出てきたものでしたが、その方々の実体験に基づくお話で、私の心に深く沁みとおってきました

 

これから、そんな3人のお話をご紹介できればと思います

今日は、ある映像作家の物語りから

 

1.その街について

東京から山梨に向かって西へ、そして少し南へと、富士山の溶岩流が到達し、今では豊かな伏流水の恵みを得ている、かつての城下町、宿場町

 

東西を森林に囲まれ、桂川から用水をひいてきた、江戸、明治、大正、昭和のそれぞれの面影を残す町 

 

2.語り手

そんな町の山近くの旧家に、1年前に戻ってきた映像作家の方と話す機会がありました

 

この方(以下、Aさん)は、私より少し年上で、映像のプロとして都内にいなくても、築いてきた信頼関係で仕事を続けられ、そして新たに始めた地元ならではのビジネスをされています

 

Aさんは、一年間にこの街に戻ってきました

その理由は、コロナ禍の中で、新宿や渋谷など、都心に出て、打合せをする機会が少なくなったこと

打合せは、ZOOMでもできる

売込みをしなくても、十分にやっていける、信用資産があってこそかもしれません

 

この方と、なぜ街に戻ってこられたのかということをお聞きしたときに、奥様とともに、理由の一つとして、子育てを挙げられました

 

3.お話の内容です


<ナゴタロのプロローグ>


昔は良かったという風に聞こえらたら本意ではありませんが、私が小学生だったころは、都心でもまだ周りに原っぱがあったり、その辺の道端で、鬼ごっこだの、けんけんだの、走り回っていました

 

集団登校も... いつからでしょうか 

 

よく考えると、都会で子供を育てるということは、コントロールしていくことを前提としなければ成り立たない状況になってしまったのかもしれません

 

<Aさんのお話しスタートです!>

 

都内では、2DKのマンションで、他所の子供を家に上げることもしにくい

道で知らない人に会ったら、挨拶はしてはいけない

誰かの所有物かもしれないので、その辺りの花を摘んではいけない

 

今住んでいる実家は築100年以上

どんなに跳ねたって、夜騒いだって良い

 

周りも、夜中もパトカー、救急車、消防車が通る幹線道路とは違う

交通量も少ない

 

都会では自由に歩かせられない 携帯を持たせていた

いまでは地域の人が見守ってくれる

 

9割方が、冬休みに説明会に行って、4年生の春から通い始める塾

周りが塾に行き始めると、遊ぶ友達も少なくなる都会

 

山々、自然の水、自然の風が大きな先生

自分自身、そう育ってきているから

 

人はその気になれば、どんな分野でも活躍できます

もちろん適性はあると思う

 

もっと自由に

土から学べといいうタイプ

受験しからって彼が幸せになる保証はまったくない

 

本人が東京へ行きたい、海外に留学に行きたいなら後押ししたい

大自然の風を感じて、葉っぱを落ちるのを感じて、感性を豊かにして親元を離れてもらったらと思う

 

下の子も、ピアノが好きで、ここでは思う存分弾ける

いわゆる「勉強」よりもいいかなと思う

 

上の子には、街にある大学生が、英会話の家庭教師の先生として来てくれる

机の上の「勉強」ではなくて、散歩しながら教えてほしいというスタイルを希望した

 

部屋で教科書で勉強ではなく、日常についてテーマを決めて勉強してほしい

せっかくこんな自然があるから大活用して下さいと

 

「勉強」っていうんじゃなくて、ピアノとか英会話とか楽しんでやることは、

ここでこそやれることとも思う

 

以上が私がお話をお聴きしたことです

 

4.感じたこと

この方は、映画監督もされていますし、街へ戻ってきてからのビジネスも成功されておられます

 

正直、そういう方のお話だからこそ、説得力があるのも事実です

 

この街には、魅力ある「自然」をテーマに子供の「探求心」を尊重し、「プロセス」に焦点をあてて、幼稚園の児童から小学生と関わっている方もおられます

 

またいつしか、その方も是非ご紹介できればと思います

 

5.Aさんのご紹介

ブログは匿名性に気を付けていますが、今回はその方がお話される貴重な機会がありますので、Peatixのイベントをご紹介できればと思います

 

もしご関心を持っていただけましたら、ぜひご参加をご検討下さい

私も片隅で、耳を傾けたいと思っております

ミドルシニアのための移住トークイベント いなかぐらしセカンドライフ vol.1 | Peatix

今日も有難うございます


ナゴタロ

自然への畏敬、生命力を得るということ


 

いま、とある鳥取県の町から書いています

穏やかな汽水湖があり、その周りをとりまく集落

険峻ではなく懐の深い里山、あるいは大山へと向かう山々
日本海に臨む漁港

平地と山林が半々のこの町は3つの町や村が合併し、様々な表情をもつ町

その中でもっとも自分の心に響いたのは、湖を見渡す小高い山の奥に位置する
古代から続く、神社

自然への畏敬、生命力を得るための源としていかに自然に耳を傾け
そこで体験を重ねることが大切なのか、問いかけてくれました

今週から、少しづつその思いを、いろいろな人との対話や具体的な場所のご紹介などとともに書いていきたいと思います

 


今日もよい一日をお過ごしください

ナゴタロ

命を受け継ぐということ

滝への小道沿いのシダ

 


1.キャプテンハーロックの言葉


もう2-3カ月以上も前ですが、、あるベンチャー施設が主催したセミナーの1年後のアルムナイで、アニメーションの話になりました 


セミナー自体も面白く、アート思考、自己分析、最後は将来の夢といった流れで、ペアや4人ぐらいのワークショップが沢山ありました

 

参加者は高校生から自分のような中高年まで、幅広かったですが、高校生や大学生の発言が鋭くて、個性や能力に年齢など関係ないということを実感しました

アルムイナイで会った方は年齢は40代の男性ですが、学生時代は宇宙について研究していた技術者の方です

 

昔のアニメにも、最近のアニメにも、おそろしく通じていて、国内の優れたアニメーションについて、社会のあり方や人の生き方ということと重ねて語ってくれました

その時に彼が教えてくれたのは、銀河鉄道999でのキャプテンハーロックが、主人公の星野哲郎にかけた言葉

「鉄郎。例え父と志は違っても、それを乗り越えて若者が未来を作るのだ。親から子へ。子からまたその子へ血は流れ、永遠に続いていく。 それが本当の永遠の命だと、俺は信じる。」

主人公の少年 星野哲郎が、永遠の命を手中にできる機械人間になるために旅に出ていることをご存じの方もおられると思いますが、それを覆す言葉でした

 

そして、すこし解釈が違うかもしれませんが、今私は次のように考えています

 

必ずしも血縁がなくても、後世の人あるいは周りの人に、智慧を渡していくこと、思いを繋いでもらうことが、命を受け継ぐということが大切ではないか

 

アルムナイで会った人もそう言ってくれたように思います

 

そのためにも、まず自分自身が、自分の魂に正直に生きることが大切なのではと思います

 

2.運転者

 

 

著者の喜多川泰さんは、私と同じ1970年生まれ

神奈川県で学習塾を開かれていたそうです

以前から、この方の本はかなり読んでいたのですが、

「運転者」を最近再読し、さきほどのエピソードに近いことを感じました

すこしネタバレになってしまいます

そして、あまり書きすぎると、著作権に抵触するかもしれませんが、以下にエッセンスを書かせていただきます

 

主人公のおじいさんは、第二次世界大戦で、米軍と戦っていて、サイパン島で明日突撃というときに、戦友にこう話します

「うちの蕎麦は水が美味いから、他のどこよりも美味い」と

そこで、戦友から、「最後にそれを食べたかったんだろうな」と言われたときに、

俺には生まれたばかりの息子がいる。あいつが食ってくれるからいいんだ。あいつに蕎麦を食わせるために、俺は明日死んでいくのさ」と、そう笑ったと書いています。


戦後の復興や発展を見ることなく人生を終えた、そのおじいさんの唯一の願いは、「息子を守ってやりたい」ということ


運は貯めていき、それを使う

自分が使わなくて貯めたら、それを誰かが使ってくれる

 

また、このようなことを書いてくれています

 

誰かの努力、ひたむきな姿勢は、他の人に幸せをもたらす力がある

 

世の中は誰かが頑張る姿からもらったエネルギーの集合体

結果からもらったエネルギーの集合体じゃない

そんな大人が集まって仕事をしている、そのエネルギーがあるから、社会を動かしている

 

実際に今の自分がやった努力の成果が自分に対して表れるのは、普通の人が考えているよりもずっとあとになってから

しかも、その成果は自分に表れるとは限らない

むしろ自分の周りの大切な人とか、次の世代とか、・・・

 

自分の人生が延々と続く命の物語のほんの一部であるってことを知らない

 

でも、受け継いでいくのは命だけではありません

あなたは、自分だけじゃない誰かが作った社会に生まれてきて育ちました

 

たくさんの血と汗と涙、そして努力、極論、命が費やされて作られてきたものです

<あった>ものではなく、命と引き換えに<作られた>ものなのです

 

ここまでの引用とさせていただきます

 

3.自分の欲との違い

 

喜多川さんが書かれたことは、社会の一面にすぎないかもしれません

 

資本主義の論理によって、お客さまにより高い値段でより沢山の商品やサービスを買っていただく

 

それは、善意でもなければ、社会貢献という考え方でもない

自分の給料や儲けが多くなればいい

良い意味でも悪い意味でもなく「欲」が世の中を動かしている

 

そういった一面もあると思いますし、否定するつもりはありません

 

一方で、私自身は、

自分のWILLやCANを大切にしながら、使命感をもち、ビジョンをつくり、社会の誰かのために働いていく、そう考えた方が幸せな気がします

 

また話がとびますが、最近、特攻隊として、鹿児島の基地から沖縄に向かった、当時の若者たちのことを本で読んで考えることが多いです

 

彼らの言動や手記を通じた考えや思いを読むと、たとえ今の境遇がどうであっても、

自分が進む道の先に「死」があるのか、数えきれない可能性の「生」があるのか

の違いの大きさを感じます

 

「運転者」でいうところの「プラス思考」、すなわち「運を貯めていく」ことで、社会にプラスを残していく意義に身を投じて「生きる」ことが大切ではないかと思います

 

なお、一言だけ付け加えますと、宗教や国家などの装置により、人為的に「大義」がつくられ、その意義に殉じるということにならないための、智慧は必要だと考えています

 

また、世の中に蔓延するプロバガンダ、コピーライト、広告・・・

目先の欲におぼれて、安易に身を委ねることが危険であることも勿論です

 

もちろん、欲も大切です

たとえば食欲が湧きおこらなければ、死んでしまいます
そういった欲は、正しい間違っているというよりも、実際に自分の中に厳然としてあります

 

そして、これまでの人生を顧みて、欲にとらわれて、会社をうらんだり、自分の身を傷つけるようなことを沢山してきています

 

そういう意味で、まったく言う資格はないのですが、ときには弱い自分を見せながらも、「命を受け継ぐ」という言葉をかみしめ、自分の奥底にある思いを大切にしていきたいと思っています

 

今日も読んでいただき、ありがとうございました

 

ナゴタロ

名鉄電車と月

 

仲間であるということ

幼稚園児に「希望」を教える(レゴシリアスプレイ)




1.友達未満

「仲間」という関係がしっくりくる
そういう人たちが増えてきてくれて、とても嬉しいです
そして、感謝しています

決して外交的ではなくて、内向的素材でつくられた自分

それでも、何となく6-7人くらいの、会えば(オンラインも含めて)
心の手の届く距離にいる人達が、ここにもあそこにもいてくれます

同志というとちょっと固いし、そこまでは言えない
もちろん何か宗教的な繋がりがあるわけでもありません

たぶん、お互いの心のどこかの価値観の音が和音になっているのではと思います

仲間はインスタントにできることもあります

たとえば、写真は「レゴシリアスプレイ」という、ある起業家育成プログラムを創っている大学のワークショップに参加して、そこにいたメンバー -学生や社会人5名ー でつくった作品

今見るとシュールですが(笑)、それぞれが「希望」を幼稚園児に伝える(難しい!笑)というお題に、
レゴブロックの色や組み合わせた形を意味付けしてつくり、それをストーリー仕立てにしました

お互いの作品を尊重しながら、いっしょにお題をつくろうとしたときに、相手の気持ちや考えを一生懸命考えたし、相手も考えてくれたという実感があります

その日にあった人だから、友達じゃないけど、でも一緒の目標にひたむきに取り組んだ「仲間」

彼らとはまた会いたいなーと素直に思います

一人ひとりの心の内面を湖面にたとえるなら、その色や深さ、湖を取り囲んでいる景色
空の色...が、今でも思い浮かびます

レゴブロックを通すことで、何かを一緒につくりあげようとした記憶

思い返すと、その瞬間、彼らは確かに仲間であったと思います
でもこの暑い夏に、シャーベットのようにすぐに溶けてしまった

やっぱり連絡がとれるように、名刺交換しておけば良かったかな。。。

2.職場の仲間

2年前に書いたブログでの職場のメンバーのこと

ちょっと生意気にチームビルディングとか書いていましたが、
今思うと、自分がわかっている風な感じで、本当に恥ずかしいです

毎日が、自分にとっての試練ですが、一人一人、大切な世界があるということ

お互い、それぞれ家族がいて、伴侶がいて、かけがえのない存在であるということ

たまたまランデブーした私たち
それ以上でも以下でもない

いまそう思うようになって、ようやく少しずつ一緒に歩ける道が
拓けてきているような気がしています

たまたま職場が一緒になんだから、仲間になれた方がいいに決まっている
でも無理しないようにと思っています

秩父宮公園(御殿場)

 

3.会社生活の応援団

私は一人っ子なので、甘いのかなと思うことがままあります

新卒で入社したところは、会社の中でも有数の丁稚奉公の部署

関西の糸道の商いの本流というような部署で、「えげつなくいくぞー」という言葉が
似つかわしい(笑)ところでした

当時そんな言葉はありませんでしたが、今でいう「社会起業家」を目指していた私は、
社会人のイロハも、組織人のABCもわからないくせに、不満感をもちながら、いやいや会社に行っていました

でも、年月のおかげで、それなりに会社や社会の風景を眺めたり、自分のできること、できないことがわかるようになってきました

 

そこで回帰したのは、理想論ではなくて、頑張っている人を応援するということ

 

もっというと、自分が仲間だと思った人を、たとえその人がいま好きでなくても、応援するということ

 

もちろんうまくいかないかもしれません

 

だけど、ある意味、仲間になれると信じて、自分にできることをTRYしていくと、意外と早いタイミングで、思いがけず相手からボールを受け取ったりすることもあるように感じています

4.お互いが応援団になれる場所

 

1年半くらい前に、会社の仕事のきっかけで、山梨県のある街とご縁ができました

大人になって、その街の場所を訪れたり、街の方と話しをして、こんなに自分の感情の奥底の何かが揺さぶられたり、その街の水の音や匂いに気持ちを委ねられるなんて、そんなことは想像ができませんでした

そこで感じたのは、素直に誰かを応援したいという気持ちは、自分に返ってくるということ
そして、自分に力を与えてくれることに気づきました

心を傾けて聴いてくれるその人の姿は、たとえ何も言わなくても、私に問いかけてくれました


その人のおかげで、自分自身がひたむきに向き合う喜びを取り戻すことができました

感謝してもしきれません

一方で「仲間」でありつづけることは、少し知恵や工夫も必要ではと思います

適度な距離感も必要

 

クローズドなコミュニティ、宗教的な集団、あるいは組織にならないように気をつけなければとも思います


過去、歴史を眺めれば、暗黒面はここそこに口をあけていて、自分達にとって異質な人を排除しがちです

カッコつけマンになるかもしれませんが、スペインの哲学者、オルテガさんは
「文明とは共存しようとする意思である」と言われたように記憶しています

「敵 」対 「仲間」ではない


お互いのユニークさ、思いとか、目標とかをリスペクトする

 

悩みを分かち合う

 

「対話」しながら乗り越えていこうとする

 

そんな仲間が増えてくることが嬉しいです

 

カッコつけず、ちょっと弱みを見せられる間柄

 

大袈裟かもしれないけど、空から見れば、社会の池の一隅に、波紋が広がっていく

たとえ小さくても

そしてそれが、誰かに受け継がれていくことを希っています

読んで下さって有難うございます

おやすみなさい

ナゴタロ

ミドルシニアを応援します

「手動の踏切」富士急行電鉄 都留市

皆様、大変ご無沙汰しました

ナゴタロです


1.はじめに

約2年間、大分長い間、ブログをお休みしていました

以前読んで下さった方はお久しぶりです

また初めて読んでいただいた方、はじめまして

 

私は、愛知県に住んでいる50代前半のサラリーマンです

娘は中学生となり、伴侶の実家に戻ることとなって、1年少し前から一人暮らしをしています

 

以前、ブログを書いていたころと、職場は変わっていませんが、周りの環境も、私自身も年齢を重ねる以上に、考え方が変わってまいりました

 

あらためて、ここから第一歩を踏み出して、このブログを読んでくださる方に向けて、自分の考えや思いを発信させていただきたいと思います

 

これからここに書くことは、今の自分のテーマ、すこし大袈裟に言うと、少し長い時間軸で、興味を持って取り組んでみたいこと、ライフワークに近い内容を中心にできればと思っています

 

とはいえ、エクスキューズになりますが、身の回りの出来事についての感想や気づきなど、それに限らず、自由に書かせてもらえればと思います

そういう意味で、メッセージ半分、自分の日記半分になるかもしれません

 

あまり肩ひじ張らずに、飾らず、かっこつけず(注:伴侶によると、私は、かっこつけマンだそうですが)、率直に書かせていただきたいと思います

 

少しでも興味を持っていただいた方は、どうか、これからのナゴタロの日記に、おつきあいいただけますと、嬉しいです


2.私のテーマ

50代前半になって、感じることは、定年までの距離感が近くなってきたこと

 

そこで脳裏に浮かんでくるのは、以前に人事の仕事をしていたころ、嘱託再雇用を迎えた方々の姿です

 

定年を迎えられても辞めずに、職場に残られた方々は、それまでの姿に比べると、なんとなく元気が無いように見えました

 

50代に入り、自分自身の将来の姿が少し重なるとともに、自分がやり残してきた課題、自分が取り組める事があるのでは、と考えるようになりました

 

自分の仕事のあり方を会社に委ねる時期が終わりに近づくなら、自分で自分のことを考えていく必要があるのではないか、そう思うようにもなりました

 

「フォレスト」(都留市にあるグランピング施設)

考えるのに必要なことは、何でしょうか

 

基本的には、自分の頭と心があれば良いのですが、ともすれば日々の暮らしに流されてしまうのではないかと思います

 

ここ数年、自分の中で、新しい考えや気づき、いわば「知恵」を生み出す手法として、「対話」の可能性をもっと探究したいと思うようになってきました

 

そして、今、対話ができるコミュニティーをつくり、定年後の働き方、暮らし方を考える場を、自分と同じような50代の人たちに提供してはどうか、そんなことを考えています

 

対話をする場には、整えるための道具が必要になります

場を継続するには、仕組みが必要になります

 

いま副業は認められていないサラリーマンですが、プロボノベースで、そういった道具や仕組みを、創っていければと考えています

 

これから、少しづつ、自分の思いや、考えを書いてまいります

 

どうか、応援よろしくお願い申し上げます

 

 

ナゴタロ

人から指摘されたことには従いたくない 中学受験の子どもも、会社のメンバーも、自分自身も

子どもの自己肯定感を高める10の魔法のことば

子どもの自己肯定感を高める10の魔法のことば

  • 作者:石田 勝紀
  • 発売日: 2018/07/26
  • メディア: 単行本
 

 

こんにちは

 今日は、自分自身への言い聞かせも兼ねて、書かせていただきます

 

中学受験をする予定の6年生の娘

親バカかもしれませんが、少なくとも自分が同じ立場だった時とくらべると、もっとちゃんと勉強しているように見えるのですが・・・

 

塾の成績があがりません

 

こういうとき、ついつい母親が言ってしまうことば

「○○(具体的な教材など)をやったの?」

「時間ないのに、なんであなたは○○なの・・・」

 

でも、こういうことを言い続けても、いっこうに子どもは変わらない

 

毎日、横で聞いている私も、苦痛になってくる

 

朝なかなか起きられないところで、声をかけるところから始まり、一日のうち、何回こういう言葉を聞くんだろうか

 

そして、自分はといえば、

父親として「物分りがいい」立場でなければいけないと、言い聞かせつつ、

半ば遠目に見ている

 

でも思う

自分も逃げているのではないか それでいいんだろうか・・・

 

この際限もなく繰り返される光景は、いつか終わりがあるのだろうか

 

いや、きっと何かが違う

お母さんが言ってくれた言葉に、娘が気づきを得て、行動がかわる日が来るとは思えない・・・

 

でも、妻にどういう言葉をかければいいのだろうか

娘に言っていることも間違いではないように思うし・・・

 

と今書けるのは、昨日、私が妻に渡した本を読んでくれて、

今朝は、そういう言葉を彼女から聞かなくなったからです

 

現在進行形ですが、そのきっかけになった本のことを書きたいと思います

ここでは、本の内容を、ナゴタロ流に解釈させていただいています

 

<目次>

1.どんな大人になってほしいか

2.信頼を損なう言葉

3.良いラベリングと悪いラベリングは増殖する

4.評価をしてはいけない

5.自分の気持ちを伝える

6.子どもにだけじゃなくて、自分にも使ってみる

 

1.どんな大人になってほしいか

これは、自分自身にも、会社のメンバーにも言えることですが、人生どう生きてほしいか、生きたいかということなんですが、

 

・ハッピーな人生を目指し、楽しい努力を重ねる自己肯定感の高い子ども

・他人や世間に認めてもらうために苦しい努力を続ける自己肯定感の低い子ども

 

どっちであってほしいかということです

 

”HAVE”でしか価値を感じられないと、地位とかお金とかモノに執着してしまう

上にいけば、さらに上が見えて、欲望は際限なくなってしまうような気がします

 

一方、きれいごとじゃなくて、自分自身、今の生活が送れるのは、サラリーマンとして、社会とか会社のルールに守られてきたからで、その前提は学歴かもしれない

 

だだ、言えるのは、今の自分にとって大事なこと、自分の根っこにあるのは、学歴そのものより、必死になって、努力を継続できた、高校3年生の自分自身への信頼だと思います

 

葉隠の一節を教えてくれた当時の塾の先生のことばは今でも覚えています

「水増されば船高し」

(困難に遭遇すれば、むしろそれを乗り越えることこそが真骨頂だ)

 

まだ大学生だけど尊敬できる先生たちの後姿を見て、自分を信じて突き進んでいた日々を送れたことは、おそらく今の自分の根っこに残っています

 

暗記を問わなくなってきているという意味で、最近良い方向に変わってきていますが、良くも悪くも、中学から大学に至るまで入試は、より適切な方向性、やり方と、努力があれば、結果に繋がってくるものではないでしょうか

 

だからこそ、中学受験に向き合う娘には、勉強にやや偏った生活になっているけれど、自分自身を磨く場に、正々堂々と向き合って欲しいと思います

  

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2.信頼を損なう言葉

「早くしなさい」のいちばんの問題は、お母さんの言葉が「アラーム」と化して、子どもをコントロールしている点にある

 

「ちゃんと片付けなさい」という言われ続けた子どもは、

「自分がちゃんとできないダメな子どもだ」

「自分は何かが足りていないのだ」という、劣等感や欠損感を無意識に感じ続ける

 

「勉強しなさい」といえばいうほど、

勉強って、強制される、面白くない、つらい、やりたくないこと、ということだという意識になっていく

 

子どもの自主性を失うような言葉、こどもが自分への信頼を失うような言葉を発してしまいがち

 

自分に対してそれを使ってみると、子どもの気持ちがわかると著者は言っています

 

「さっさと料理作れよ」

「ちゃんと掃除しろよ」

「なんで毎日洗濯しないんだよ」

 

やる気はそがれるし、いい気分ではいられない

ネガティブな言葉の、マイナスの力は大きい

 

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3.良いラベリングと悪いラベリングは増殖する

「繰り返された言葉は、その通りに実現される」

 

言葉は、繰り返されることによって、強力な暗示となり、人間の振る舞いや考え方、

容姿や雰囲気にまで影響を与える

 

私自身もそれに囚われていてしまっていたと反省していますが、会社でも上司と部下の関係に見られることがあります

 

上司は、部下のこんなところが気に入らない、なんでわからないんだろう・・・と思う

 

1回、2回重なると、いよいよ気持ちが補強されてきて、だいたい、この部下はわかっていない 考え方も性格も・・・間違っている、問題がある と考えるようになる

 

そのスパイラルに陥ると、なかなかありたい姿、部下がいきいき活躍して、本人もチームも幸せな状態にはならない

むしろ、欠点が固定化されているように見えるし、実際そうなってしまう

評価はマイナス、信頼関係も生まれない

 

まさに「ラベリング理論」を絵に書いたような状況が生まれてしまいます

 

その逆もしかりで、この部下はなかなか優秀で、視野も広いし、自分でしっかり分析する、意欲もある、配慮もある・・・

そういう”ラベリング”をした部下は、どんどん成長していくのが現実です

 

ちょっと横道にそれますが、前者のように見える部下にはどうすればよいか

 

まず「知恵レベル」として使いたいツールは、エニアグラムでしょうか

人にはいろいろなタイプがいて、たまたま自分が理解しにくいタイプではないか、といったんその人に対する見方をリセットしてみること

 

あと、マネジメントとしていろんな手法はあると思いますが、心の持ち方として、私が尊敬する人は、「待つ」ことだといいます

 

信頼して、待つ

 

時間はかかるかもしれない

ただ、負のサイクルを繰り返すよりも、自分もその部下にとっても、良い結果をもたらしてきているような気がします

 

 

4.評価をしてはいけない

半年くらい前に、私が違和感をもった言葉があります

 

ある別の会社の若い人が「会社から評価されない」という嘆きを何度か口にしました

 

教科書的には、いいことをすれば、周りからも上司からも”評価”されて、みんなハッピーになるはずなんですが、他人からの”評価”が目的化すると、どこか変な方向に歯車が回り出すような気がします

 

会社から求められる”MUST"(しなければいけない義務)

自分がやってみたい”WANT”

自分ができる”CAN"

 

この3つの輪の重なりが大きければ大きいほどいいと言われますが、逆に言えば、それぞれは独立するもの

 

”MUST"(義務)に焦点をあてて、”CAN”(自分ができること)で応えようとしすぎると、”WANT”(自分の心が求めること)がおざなりになるそして、苦しくなる

 

”MUST”から”WANT"に気づくこともあるけれど、人が疲弊するのは自分自身の声、”WANT”に耳を傾けてあげられないからではないかと思います

 

では、ちょっと有りがち?な話として、

お金持ちになりたい

上の役職にあがりたい

が、自分の”WANT”なのか?

というと、ちょっと気をつける必要があるかもしれません

 

そして、だんだんと”WANT”は、上司、相手、他人からの「評価」になったりしてきます

 

でも、その根っこにあることは何か

もしお金持ちになったら、もし上の役職になったら、何を実現したいのか

 

むしろ、自分らしさを発揮して、結果として周りの人からの「感謝」とか「共感」を受け取ることのほうが、自分の本当の”WANT”に近いかもしれない

 

話が逸れましたが、”勉強ができたから→評価する”

というサイクルは、結果ありきになってしまう

そして、精神状態を不安定にさせるおそれが大きい

 

5.自分の気持ちを伝える

ここからは、著者がこういうことばを使うことで、子どもはきっと気づきを得ながら、成長していくといった言葉を紹介してくれています

 

カテゴリーがいくつかあって、すべてで10個の言葉があります

 

<承認の言葉>

「すごいね」

「さすがだね」

「いいね」

 

これは共感の言葉とも言えるかもしれません

”自分が言ったことを守る”といった信頼につながる行動に、共感する

”テストの点が良かったよ”という本人の気持ちに、共感する

そういうことを、率直に伝えることが大事だと、著者は言っているように思います

 

共感というのは、私なりの解釈ですが、このあとの言葉も含めて、”いつでも私はあなたの味方です”という、相手への信頼がベースにあります

 

別の言葉でいうと、”褒める”のではなく、”徹底的に認めよう”と

 あと、さりげなさが大事だそうです

「軽く、明るく、さりげなく」伝えようと

 

それは、きっと評価と紙一重だからでしょう

 

あと面白いのは、こういった承認の言葉は、勉強では使わない方が良いと言っています

使うなら、「テストで100点とって、私もうれしい」という、I(アイ)メッセージにしとこうと言っています

 

親は教師ではなく、子どもを見守る存在

だから、結果で判断(ジャッジ)するという文脈になるおそれがある言葉はやめようということらしいです

 

勉強以外で、イキイキなにかをやっていたときに、使うということがコツでしょうか

 

<感謝の言葉>

「ありがとう」

「うれしい」

「助かった」

 

子どもがちょっと勇気をだしてチャレンジしてくれたこと

自分や誰かを思ってやってくれたこと

子どもに助けられたとおもったこと

 

そういうことにちゃんと親も言葉に出して気持ちを伝えようということですね・・・

 

<感心の言葉>

「なるほど」

「知らなかった」

 

ちゃんと子どもを一人の人格のある人として見て、リスペクトするということが、

子どもの自尊心を育んでいくということでしょうか

 

<安心の言葉>

「大丈夫」

 

不安なことについて、声がけをしてあげることは、子供にはとくに大事なこと

 

<指摘の言葉>

「らしくないね」

 

本来の子どもを認めるからこそ使う、なかなか高度な言葉ですね

私も、この言葉を使いこなせるようにしたいです(あまり無い方がいいと思いますが)

 

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6.子どもにだけじゃなくて、自分にも使ってみる

こんな10の言葉を紹介して、最後に筆者は事例を紹介してくれていますが、

私は、これらの言葉は、自分に対しても使うことも良いのはと思います

 

なんかちょっと恥ずかしいけど

 

自分自身苦しんで、人にあたったり、他の人を苦しめるくらいなら、その方が良いのではと思います

 

自分を甘やかす?

いえ、不完全な自分でも、調子の良い自分でも、その時々の自分を認めてもいいんではないでしょうか

 

ここまで書いてきて、「塾の成績が上がらない」という最初の問題提起に対して、適切な答えを導き出せたかというと、そうでない気がします

これは、次回以降のテーマにゆずります

 

ただ、言えるのは、子どもに対して、会社のメンバーに対して、そして自分自身に対して、否定的に指摘したことは、それがいかに正しくても、潜在意識は反発してしまい、抑圧が残るだけで、いい結果は生まれないということ

 

だから、通り一遍の「評価」もだめで、よっぽど信頼関係があって、「君らしくないね」という意味でのI(アイ)メッセージでの思いでなければいけないということ

 

そういうことを、この本を読んで学びました

 

・相手の味方になる

・共感する、認める

・人として尊敬し、感謝する

・信頼して「待つ」

 

時に、相手は私に怒りをぶつけることもあるかもしれない

だけれども、それは悲しみ、傷ついたことの裏返しと捉えた方が良い

 

子どもも、妻も、会社のメンバー、自分自身に対しても、ある意味勇気をもって、

自分らしい率直な気持ちを出し続けていきたいと思います

 

外をみると、まだ雨は続いています

 

昨日は、録画していたブラタモリを何本か見ましたが、今日も家でのんびりしようと思います

 

皆様、良い日曜日の午後を!

 

ナゴタロ

 

 

七本指のピアニスト 西川梧平さんが教えてくれた 「不完全さを嘆くより、今あるものに感謝し、自分自身で在り続けること」

 


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西川梧平さん

 

皆様、大変ご無沙汰してます

ナゴタロです

コロナと共存していく日々、わずか半年前までは想像だにしていませんでしたが、

最近の豪雨も然り、人知の及ばない力をあらためて感じます

 

ブログを書く時間が無いと言い訳していましたが、自分が感じたり考えたことを残していくとすれば、この場が良いのではと改めて思い、再開いたします

 

拙い文章かもしれませんが、できるだけ率直に書きたいと思いますし、読んでいただける皆様にでも少しでも何か感じていただければと思っております

 

今日は、七本でピアノを演奏する西川梧平さんについて

 

<目次>

1.西川梧平さんのこれまで

2.私が感じ考えたこと

 

1.西川梧平さんのこれまで

日常は十本指が使える西川さんですが、ピアノを弾くときには左手は二本しか使えない

ジストニアという難病だそうですが、1999年に渡米してから21年間、アメリカや

ヨーロッパを中心に、演奏活動をされているそうです

 

ピアノをはじめたのは15才だそうですから、だいぶ遅いスタートですね

学校のブラスバンドでチューバを担当していたそうですが、音大受験にはピアノが

必須ということで先生に習い始めたら、直観でピアノをやりたいと思い立ったそうです

 

狂がつくほどめちゃくちゃ練習したそうです

本人曰く、練習はきらいだけど、毎日15分はやるようにと言われて、でも始めると、

8~10時間はぶっつづけて練習してします

写譜もすれば、逆再生、目隠しまでしても、打ち込んでいく

 

ただ、音大の短大コースに入って、四年制への編入がうまくいかなかったころ、あるアメリカ人の先生に声をかけられて渡米します

 

そこで学んだ大事なことは、”Find Your Own Voice"

 

表面的なテクニックではなく、「音の中の音を聴く」ことを大事にして、

消えていく音の中にある音を聴き、そこに音を重ねていくよう心がけたそうです

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そのために、一曲を仕上げるのにも、普通の人の何倍もの時間をかける

 

そしてとうとう「リンカーンセンター」という有名な場所で演奏できるようになりますが、西川さんのピアノは邪道だという批判を受けます

 

それから、自分を追い込んで練習すればするほど、あるときから段々と指が動かなくなってきてしまう

 

5人の医師から、もうピアノは弾けないと宣告され、ジストニアと診断されます

 

そして、清掃や介護の仕事で食いつなぐようになります

 

そんな中、たまたま幼稚園で子供達にピアノを弾いてあげるアルバイトに行った時、

当時動いたのは5本の指

 

でも、「きらきら星」を弾いたとき、子供たちは心から、楽しそうに、うれしそうに

それを聴いて歌います

 

その時に、はっと気づきました

 

なんかええやん・・・

この5本の指でできることあるんや

自分自身も、演奏できることに楽しさ、うれしさを感じます

 

それから、7本まで指が復活し、いつしかジストニアに罹患する前よりも、もっと

著名なピアニストになっていきます

 


西川 悟平 NHK ドキュメンタリー

 

2.私が感じ考えたこと

去年の9月、10月と、私の仕事が忙しくなり、というかあるイベントを担当したのですが、かなりプレッシャーを感じて、苦しい日々を送っていました

 

なぜかどんどん体重が減っていき、朝のジョギングで何とか気持ちをリセットして会社に行っていたのですが、思考力、判断力も落ちている中、時間をかけることでなんとかカバーしていました

 

今思うと、他の人のいろいろな期待を、自分が”望んで”受け止めて、自分の心や身体の声を無視してしまい、義務感=責任感と履き違えていたことが原因だと思います

 

別の面からみると、自分に足りないものに焦り嘆き、求められるものに応えようとカタチにこだわりすぎていました

 

今思うのは、西川さんのエピソード

幼稚園の子供たちが喜んでくれたときのこと

 

彼が教えてくれたことは、次のようなことでした

 

◆自分自身の率直な思いを大事にする

→ 義務感でやっても、どこかで無理がでてくるし、心を不健康にする

→ やっててうれしいとか、充実しているとか、自分の気持ちに耳を傾ける

 

◆相手の気持ちを大事にする

→ 表面的な要望を額面通りに受け止めるのではなく、相手にとって本当に大事なことに応えられるように率直に投げかけてみる、対話する

 

◆できる範囲でベストをつくす

→ 今の自分なら、早寝早起き、ジョギングのように、自分の身体や心の状態を大切にしながら、良い状態だからこそ、いい仕事ができるようベストをつくす

 

◆なるようになる

→ 一生懸命ベストをつくすことと、執着することは違う

 ある意味なるようにしかならないし、なるようになる

 

◆自分との距離感、周りの人との距離感をたもつ

→ 相手の期待に応えることに焦点をあてすぎたり、起こっていることのマイナス面に囚われすぎない

=自分の負の感情に押し流されない

 

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いろんな事にぶつかったとき、西川さんのお話も思い出しながら、こういったことに心を留めていきたいと思います

 

西川さん、メデイア「致知」「NHK」、読書会の皆様、有難うございました

そして、この記事を読んでいただいた皆様、有難うございます

 

よい金曜日をお過ごし下さい

 

ナゴタロ

7月24日 10:50