ナゴタロの感謝日記

名古屋在住の50代前半、サラリーマンの日記です

「職場」で祈るということ

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おはようございます

昨日、メンバーの一人が、会社の仕事で行った神社から、お札をいただいてきました

 

お札なので、粗末にはできないと思う一方、今の会社のオフィスには神棚が無く、さてどうしようということになりました

 

これまでも、そういうことがあったような気がしますが、失礼ながら、なんとかなっていました

今回は上位マネジメントから、大事にするようにという指示もあり、うやむやにはできません

 

神棚は、榊を用意したり、毎日お水を取り替えたり、そもそも一回始めたらやめることができない

お札立てで許してもらえないか・・・などとも考えたのですが、

 

交通安全祈願に行っていただいてきたお札ということもあり、役員車のドライバーさんの控え室にお渡しすることにして、一応解決しました

 

私が、会社で「祈り」ということを考える上で思い出すのは、前職で、私が発電所に出向していたときの、所長さんの姿です

 

その発電所は、神奈川県の茅ヶ崎という湘南の街から、すこし内陸に入った工業団地の中にある、小さな発電所でした

 

当時は、ちょうど電力自由化の走りで、工場の遊休敷地などを利用して、発電事業を行うことが試行されていました

 

その発電所は、毎朝ガスタービンを立ち上げて、発電を開始し、夜、ガスタービンを落として終了するという、いわゆるピーク対応型のものです

 

今改めて思うと、毎朝、本当に立ち上がるかどうかという、緊張の毎日が続く環境でした

 

私は、別の会社からでしたが、その発電所は、電力会社から、いわゆる現場の方に出向していただいて、運転をしていただいていました

 

所長さんも、前職の大電力会社でずっと発電一筋でやってこられた方でした

 

毎朝、小さな事務所の所長席の横にある神棚

欠かすことなく、毎朝真剣な面持ちで祈っている、60歳を越えた所長さんの姿

 

祈りは、おそらく、無事に毎日発電が続けられること、そして、発電所で働くメンバーの健康だったのではないかと思います

 

その背景にあると思ったことは、そこにいる現場の方々の、「絶対に電気を止めてはいけない」という強い使命感でした

 

ある朝、これまでにないような寒波がきて、身を震わせて発電所に行った時に、事務所のコンロで沸かした、やかんのお湯を、リレーで持っていって、皆で一生懸命に、ガスタービンの装置に掛けている姿がありました

 

薬液が凍り付いてしまって、動かなくなってしまったためです

 

自然のおそろしさも感じました

いくら、日頃メンバーの一人一人が真剣に業務に向き合っていても、メンテナンスに取り組んでいても、こんなことがあるのか、と思いました

 

そもそも、我々は自分自身でコントロールできないことの方が多い

 

地震や台風をはじめのような大自然の災害には、人の力はかなわない

急に飛び出してきたり、ぶつかってくるかもしれない

 

物理的なことだけでなく、

周りの人の気持ち

そもそも、自分の気持ちでさえも

 

コントロールはできない

 

人事を尽くして天命を待つという言葉があります

 

自分に恥ずかしくないことを続けているからといって、うまくいくとは限らない

あとは祈るしかない

 

今週、私は、もやもやしていることが続いていました

下の「つぶやき」にもふれましたが、ひとつは、上位マネジメントに対する思い

もうひとつは同じ職場のメンバーに対する思いでした

 

www.nagotaro.work

 

昨日、どちらも、わだかまりを解くことができました

 

真剣に伝えること

真剣に聴くこと

それしか、私にはできませんでしたが、

 

おかげさまで、2つのわだかまりは、ちょっとしたことで溶けていきました

 

その時、自分ではあまり意識してはいませんでしたが、

相手がどう受け取るかは委ねよう

自分がどうこうできない、いろんな意味で待つしかない

とも思っていました

 

自分でコントロールできないことは、天命を信じて委ねるしかない

 

それは、何か見えない力に対する信頼であり、

「祈り」そのものではなかったこと思います

 

やっぱり、どこまで文明が発達しても、「祈るということ」は、

切り離せない心の働きなのではないでしょうか

 

それでは、皆さん、今日も元気にいってらっしゃい

ご安全をお祈りします

発電所では、この言葉がよく使われていました)