ナゴタロの感謝日記

名古屋在住の50代前半、サラリーマンの日記です

仲間であるということ

幼稚園児に「希望」を教える(レゴシリアスプレイ)




1.友達未満

「仲間」という関係がしっくりくる
そういう人たちが増えてきてくれて、とても嬉しいです
そして、感謝しています

決して外交的ではなくて、内向的素材でつくられた自分

それでも、何となく6-7人くらいの、会えば(オンラインも含めて)
心の手の届く距離にいる人達が、ここにもあそこにもいてくれます

同志というとちょっと固いし、そこまでは言えない
もちろん何か宗教的な繋がりがあるわけでもありません

たぶん、お互いの心のどこかの価値観の音が和音になっているのではと思います

仲間はインスタントにできることもあります

たとえば、写真は「レゴシリアスプレイ」という、ある起業家育成プログラムを創っている大学のワークショップに参加して、そこにいたメンバー -学生や社会人5名ー でつくった作品

今見るとシュールですが(笑)、それぞれが「希望」を幼稚園児に伝える(難しい!笑)というお題に、
レゴブロックの色や組み合わせた形を意味付けしてつくり、それをストーリー仕立てにしました

お互いの作品を尊重しながら、いっしょにお題をつくろうとしたときに、相手の気持ちや考えを一生懸命考えたし、相手も考えてくれたという実感があります

その日にあった人だから、友達じゃないけど、でも一緒の目標にひたむきに取り組んだ「仲間」

彼らとはまた会いたいなーと素直に思います

一人ひとりの心の内面を湖面にたとえるなら、その色や深さ、湖を取り囲んでいる景色
空の色...が、今でも思い浮かびます

レゴブロックを通すことで、何かを一緒につくりあげようとした記憶

思い返すと、その瞬間、彼らは確かに仲間であったと思います
でもこの暑い夏に、シャーベットのようにすぐに溶けてしまった

やっぱり連絡がとれるように、名刺交換しておけば良かったかな。。。

2.職場の仲間

2年前に書いたブログでの職場のメンバーのこと

ちょっと生意気にチームビルディングとか書いていましたが、
今思うと、自分がわかっている風な感じで、本当に恥ずかしいです

毎日が、自分にとっての試練ですが、一人一人、大切な世界があるということ

お互い、それぞれ家族がいて、伴侶がいて、かけがえのない存在であるということ

たまたまランデブーした私たち
それ以上でも以下でもない

いまそう思うようになって、ようやく少しずつ一緒に歩ける道が
拓けてきているような気がしています

たまたま職場が一緒になんだから、仲間になれた方がいいに決まっている
でも無理しないようにと思っています

秩父宮公園(御殿場)

 

3.会社生活の応援団

私は一人っ子なので、甘いのかなと思うことがままあります

新卒で入社したところは、会社の中でも有数の丁稚奉公の部署

関西の糸道の商いの本流というような部署で、「えげつなくいくぞー」という言葉が
似つかわしい(笑)ところでした

当時そんな言葉はありませんでしたが、今でいう「社会起業家」を目指していた私は、
社会人のイロハも、組織人のABCもわからないくせに、不満感をもちながら、いやいや会社に行っていました

でも、年月のおかげで、それなりに会社や社会の風景を眺めたり、自分のできること、できないことがわかるようになってきました

 

そこで回帰したのは、理想論ではなくて、頑張っている人を応援するということ

 

もっというと、自分が仲間だと思った人を、たとえその人がいま好きでなくても、応援するということ

 

もちろんうまくいかないかもしれません

 

だけど、ある意味、仲間になれると信じて、自分にできることをTRYしていくと、意外と早いタイミングで、思いがけず相手からボールを受け取ったりすることもあるように感じています

4.お互いが応援団になれる場所

 

1年半くらい前に、会社の仕事のきっかけで、山梨県のある街とご縁ができました

大人になって、その街の場所を訪れたり、街の方と話しをして、こんなに自分の感情の奥底の何かが揺さぶられたり、その街の水の音や匂いに気持ちを委ねられるなんて、そんなことは想像ができませんでした

そこで感じたのは、素直に誰かを応援したいという気持ちは、自分に返ってくるということ
そして、自分に力を与えてくれることに気づきました

心を傾けて聴いてくれるその人の姿は、たとえ何も言わなくても、私に問いかけてくれました


その人のおかげで、自分自身がひたむきに向き合う喜びを取り戻すことができました

感謝してもしきれません

一方で「仲間」でありつづけることは、少し知恵や工夫も必要ではと思います

適度な距離感も必要

 

クローズドなコミュニティ、宗教的な集団、あるいは組織にならないように気をつけなければとも思います


過去、歴史を眺めれば、暗黒面はここそこに口をあけていて、自分達にとって異質な人を排除しがちです

カッコつけマンになるかもしれませんが、スペインの哲学者、オルテガさんは
「文明とは共存しようとする意思である」と言われたように記憶しています

「敵 」対 「仲間」ではない


お互いのユニークさ、思いとか、目標とかをリスペクトする

 

悩みを分かち合う

 

「対話」しながら乗り越えていこうとする

 

そんな仲間が増えてくることが嬉しいです

 

カッコつけず、ちょっと弱みを見せられる間柄

 

大袈裟かもしれないけど、空から見れば、社会の池の一隅に、波紋が広がっていく

たとえ小さくても

そしてそれが、誰かに受け継がれていくことを希っています

読んで下さって有難うございます

おやすみなさい

ナゴタロ