ナゴタロの感謝日記

名古屋在住の50代前半、サラリーマンの日記です

「権力」と「もののあはれ」、芸術を磨く2つの要素

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錦秋

 

こんばんは

この写真は、名古屋城にまだ残っていた紅葉の名残です

東京の皇居と同じように、お城は街の中に自然を残してくれています

 

今日は、東京から来た友人のアテンドで、名古屋城本丸御殿と、徳川美術館に行ってきましたが、どちらも、見ごたえはありました

 

本丸御殿は何年間かかけて少しずつ復元していましたが、とうとう今年すべてが完成

一番奥は、3代将軍、徳川家光上洛の際に迎えるために作られた上洛殿と呼ばれるエリア

入り口から奥にいくにしたがってつくりは贅が凝らされていきます

 

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名古屋城本丸御殿上洛殿

 

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釘隠し

 

ただ、一回きりのためにここまで用意するかと考えざるを得ません

そのためにどれだけ多くの人の労力が費やされたか

 

確かに美しいというか、すごいとは素直に思います

ただ、何か落ち着きません

 

権威、権力を感じることはあっても、リスペクトというのとは違います

 

それに対して、徳川美術館の方は、所蔵品それぞれから、凛とした気品とともに、訴えてくるものがあります

 

所蔵品は、刀剣、具足、能の道具、絵画など

 

残念ながら写真不可なので、うまく伝えられませんが、作った人、使った人、それぞれの思いも詰まっている気がします

 

本丸御殿は、「建物」全体がもつ威圧感から、権力が表に出てしまいすぎる気がします

 

それに対して、徳川美術館の「道具」は、権力があればこそ、パトロンとして、芸術家を支援したり、一級の芸術作品を収集できるものかもしれません

 

でも、一つ一つ、一人の職人の思いと技術でつくられたもの

 

ただ、どちらも尾張徳川家という権力があればこその、芸術あるいは技術ということも否定はできません

 

今日、一番、ほっとしたこと

 

それは、徳川美術館の最後に見た、源氏物語の特別展

 

私は詳しくないのですが、同行の友人の語り口や、多くの人が熱心にビデオの解説に耳を傾ける姿に、人々が安らぎを感じるのはこういった芸術だと思いました

 

なぜ人々が、「もののあはれ」に惹かれるのか

 

それは、権力の空しさや影を、どこかで人々が感じているからではないでしょうか

 

執着しすぎるのは問題かもしれませんが、細やかな情愛、日々の営みというものに、人々は幸せや安らぎを感じます

 

人々は、無意識に「権力」を求め、それに従うことを求める存在でもあり、

同時に自分の周りの人々との関わりの中で、自分を取り戻す存在でもある

 

私自身の中でも、一口に芸術というものでは括れない、簡単には割り切れない、感情の揺れ動きを感じました

 

それでは、今日はこの辺りで

おやすみなさい  

 

 

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子育てで大事なこと : ①親自身も成長すること ②子どもには感謝する心と、自分を愛せる心を持たせること

草原を駆ける2人の女の子

草原を駆ける2人の女の子

 

こんばんは

明日から仕事が忙しそうなので、今日のうちに、もうひとつ記事を書くことにします

 

子供について

「到知」(2018年12月号)からの引用と、友人のFBからの引用です

 

私の自戒を込めて

 

到知の、鈴木秀子さんという方の連載「人生を照らす言葉」に、

レバノン出身の詩人カリール・ジブランさんの詩が載っています

 

「あなたの子どもは、あなたの子どもではありません。

あなたと共にいるものの、あなたのものではありません。

 

すると、赤ん坊を抱いた女性が言った。

子どもについて話して下さい。

アルムスタファはこう答えた。

 

あなたの子どもは、あなたの子どもではありません。

生命そのものが再生を願う、その願いの息子であり、娘であるのです。

あなたを通して生まれてくるものの、あなたから生まれるのではなく、あなたと共にいるものの、あなたのものではありません。

 

子どもには愛を注ぎなさい。しかし、考えを押しつけてはいけません。

子どもには子どもの考えがあるのです。

家のなかに子どもの体を住まわせることはできても、

子どもの魂を住まわせることはできません。

子どもの魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢のなかでさえ

そこを訪れることはできないのです

あなたが子どものようになろうと努めるのはかまいませんが、

子どもをあなたのようにしようとしてはいけません。

人生はあと戻りも、昨日のままでとどまることもしないのです。

あなたは弓であり、そこから子どもという生きた矢が未来へと放たれていきます。

射手は無限の道の先に的を定め、力強くあなたを引き絞り、

その矢を素早く遠くへと飛ばします。

射手のその手のなかで身をたわませることをよろこびとしなさい。

射手は飛び去っていく矢も、手元でじっととどまっている矢も、

どちらも愛しているのですから。」

 

子どもは、自分の力で人生を生きていかなくてはならない

子どもには、その子だけの使命が与えられている

親は子どもを私物化せず、まさに天からの授かりものとして、大切に育てさせてもらう

 

鈴木さんは、「敬愛の念を持って育てることが大事で、そうやって敬愛の念を持って育てられた子どもの心には、自己肯定感が育まれる」と言います

それは、自信満々とか傲慢とかではなく、自分で自分を認め、そこにじっくりと腰を落ち着けられる心と言われます

 

鈴木さん曰く、日本の高校生にアンケートをとると、自分を好きだという答えは10%程度にすぎず、他の国々よりも遥かに低い数字だそうです

 

他人の目を気にし、他人から褒められないといけないというマイナスの意識があるのではないか、と言います

 

子どもを認めること

子どもが感謝できる気持ちをもてること

そして、それらが幸福を感じる力を育むと言われます

 

子どもという矢を、本当の幸福という的に向けて放つためには、

弓(原文では射手とありますが、おそらく誤り)である親が、

自分を強く励ましながら生きていかなくてはいけない

 

親自身もいい加減な生き方はできない

時に厳しい忍耐が求められ、自省し成長する努力が大事だと言われます

 

ここからは、私の感想です

 

いま自分は自分が父親に抱いていた反発にも関わらず、自分の娘に対しても、同じようなことをしようとしているかもしれない

 

あれほど、受験のための勉強に反対の気持ちを持っていたのに、どこかで娘が、この学校に進学してくれたらいいのでは?と願っている自分がいる

 

娘に対して、きちんと向き合って、よく話し合っていきたいと思う

そのためには、信頼が大事である

 

いま、10歳

 

これから、ますます彼女は私自身の考え方や行動を、見て考えるようになってくる

私自身、言行一致であることにストイックでありたいと思う

 

 

最後に、また引用で恐縮ですが、自分の娘に対して、大事にしてほしい

思いが書かれた詩をもって、締めくくらせていただきます

 

「奈々子に  

           吉野弘

赤い林檎の頬をして
眠っている 奈々子

お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにもちょっと
酸っぱい思いがふえた

唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは
はっきり
知ってしまったから

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるとき

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう

自分があるとき
他人があり
世界がある

お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労が増えた
苦労は
今は
お前にあげられない

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ」

 

皆様、明日は月曜日ですね

どうかゆっくりお休みください

よい夢を

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事前の準備が足りないと、本番でのリーダーシップが生まれやすい ~人材育成!?~

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181101 キャンパスにて

 

おはようございます

先週の金曜日の夜の席で、今年の秋に行われたスポーツイベントが話題になりました

 

そこには、沢山の人がボランティアで参加したのですが、明らかに事前の準備が不足しているようでした

 

私を含めて、ボランテイアの一部のメンバーは、担当が決まっていない

 

そこである青年が人数を確認し、事務局側で不足しているポストを見つけて、一人一人割り振り始めました

 

なかなか偉丈夫で、引き締まった身体の、スポーツマンに見えます

 

次の日も、その青年が、1日の段取りを確認しながら、チームに連絡・指示しながら、メンバーをまとめていってくれました

 

恥ずかしながら、私も他の年配の、おそらく会社では管理職とよばれるメンバーも、彼のリーダーシップに頼り、彼の統率の下で、動くことになりました

 

いままで、さんざんマネジメントに関する本を読み、研修を受け、自分が研修事務局側に廻る事があっても、実践できていない自分

 

職場では、曲がりなりにも、自分のマネジメントをやっているつもりだけど、それは、職制という前提の上にあぐらをかいていたにすぎない

 

ただ、半分良い訳ですが、必ずしもマネージャー=リーダーでなくても良くて、次世代マネージャー育成という面では、望ましいと思います

でも、いざというときは、リーダーもできるんだと思い込んでいた

 

話を、戻します

 

もちろん、その時、われわれも、決して受身で行動していたわけではありません

ただ、誰かからの指示を探す方に頭がいってしまっていたような気がします

 

紙で書かれた指示、大会のマネジメントラインによる指示、それを確認する方を優先しようとしてしまう

 

でも、そんなものが機能していない場では、時間のムダ

 

ついつい、自分の与えられた役割に忠実にあろうとしてしまうけど、その役割分担表が、架空の前提につくられたものだといかに見破るか、

そして、いかに役割分担を現場で再構築していくか

 

職制によらないマネジメント=リーダーシップ

臨機応変にその場の状況を把握し、判断し、メンバーをリードしていく

これは、災害時にも同じようなことが想定されますが・・・

 

また、大昔の話を持ち出して恐縮ですが、縄文時代の村長、サル社会のボス・・・も同じではなかったでしょうか

 

身体も丈夫で、頭の回転もはやい

人をひきつける魅力がある

 

「紙文化」や「組織統制」が無い時代は、そうやってリーダーが決まり、人々を導いたのではないでしょうか

 

 

人材育成やリーダーシップについては、企業の人事の研修のテーマの一つですが、この大会でのボランティアの参加は、「人材育成」そのものではないかという結論になりました

 

いわばいろいろな氏素性の、老若男女が集まり、ほとんどぶっつけ本番で、誰かから権限が付与されているわけではない

 

その中で、自分のポジションを自分でつくり、まったなしの状況で、適切に判断しリードしていく

 

ダイバーシティといいますが、いろんな能力、個性をもった人たちを活かしていくということも必要

 

お金で集まっているわけではないですし、モチベーションも微妙で、ボランティアさんにちゃんと役割が用意されてますーという世界を期待している人も多い

そういう人たちを束ねていく

 

本来望ましい状況ではないのですが、リーダーシップということの本質的な意味に、気付くことができて良かったと思うし、自分自身の能力、性格も、否応なしに分かりました

 

ちょっと苦い経験でもありましたが、気付けてよかった

こんな機会をもらえたことに感謝しています

 

それでは、皆さん、良い日曜日をお過ごし下さい

 

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経年優化 ~秋色に染まる街~ 東京丸の内から皇居へ

丸の内の街並み

丸の内の街並み 181130

 

こんばんは

早くも師走、年末に向けて気ぜわしくなって参りましたが、こういう時こそ気持ちをゆったりと持ちたいです

昨日は、出張の合間に、東京の丸の内から皇居へ少し足を伸ばしました

 

1997年の日経新聞には「黄昏の街」と書かれた丸の内

確かに私にとって、この場所の原風景は、薄暗く、ねずみ色の背の低い無個性なビル群

 

その面影は、見事に拭い去られて、上品なクラシック音楽が合う街になった

アンチミーハーな私も、心の中でバイブレーションが起きた

 

1997年の三菱地所の社長は、福澤武さん(福澤諭吉の曾孫)という方

「これからはただ建物を建てて貸せばいいという時代ではない。仕事がしやすい、働いていて楽しい、新しい仕事が生まれるといったソフトの力を付加しなければダメだ」と言ったそうです

 

福澤さんの思いは、見事に形になってきたような気がします

アシックスのランステーション

アシックスのランステーション

www.asics.com

アシックスが運営するランステーション、中には、おしゃれなランニングウエアや靴、そして、皇居へ走りにいくランナー向けのシャワールームもあります

1回800円、月額5,400円 

なかなか微妙な価格設定ですが、もし私が丸の内のオフィスに通っていて、もし高給取りなら(笑)迷わず使いたいところです

ジムに通うより、皇居の周りを走っている方が、10倍は気持ちいい

というのは、体感していますので

 

丸の内ストリートギャラリー

丸の内ストリートギャラリー

丸ビルの横、仲通りの歩道にいる白いライオン


三沢厚彦さんという方の作品

この方は、動物をモチーフに、ちょっとユーモラスで、やんちゃな感じ、声をかけてみたくなるような彫刻作品を作られているようです


こういった作品が、「丸の内ストリートギャラリー」と称して、10個くらい、街のここそこに置かれています

三菱地所彫刻の森芸術文化財団の共催で、1972年からの40年以上続く取組みだそうです

息長く続けられているんですね

 

いつもの街の風景も、ちょっと表情が変わります

 

ちなみに、写真の後ろの方に、セグウェイに乗った人がいますが、街の案内人だそうです

公道での一般走行は認められていないものの、実証実験ということで許可されたとのことです

 

三菱地所の社員の方の、心意気、ユニークさ、アグレッシブさを感じます

ちょいオモろな感じがいい! 遊び心・・・

 

TOKYO創業ステーション

TOKYO創業ステーション

こちらは、東京創業ステーション

明治安田生命ビルに入っています

文字通り、創業したい人を支援する「場」で、「東京都中小企業振興公社」が運営しています

ネーミングもいい ステーションって、旅たちの出発点ですよね

有料、無料のセミナーや交流会、コンサルによるアドバイスなどが受けられるようです

やるな~ 東京都も偉いけど、三菱地所さんがです

彼らは、ここ丸の内を、ベンチャー企業を育成する街にもしたいようです

ベンチャー企業が育ち、やがて自分達のビルのテナントになっていく

常に、新陳代謝が図られるような仕組みをつくろうとしています

 

明治生命館と明治安田生命ビル

明治生命館明治安田生命ビル

ちなみに、左側が明治生命館

1934年(昭和9年)竣工、戦火を潜り抜け、戦後はGHQに接収された、重要文化財

右側が、2004年竣工の、オフィスと商業の複合施設

間は、このような天窓空間となっていて、外と内の中間のような不思議な廊下が続いています

こういった配慮からも、丸の内の街にクラシックさが息づいています

 

 

皇居のお堀

皇居のお堀

明治生命館の隣は、広い道路をへだてて、すぐに皇居のお堀が広がっています

カルガモが気持ち良さそうに泳ぎ、心を癒してくれます

湖面には上品に黄に色づいた木々が美しく映えています

 

 

皇居前の芝生

皇居前の芝生


そして、さらに足を進めると、かなり広い芝生と木々が広がっています

もし私が、丸の内のどこのオフィスに勤めていたら、メンバーとのミーティングは、時々、この芝生の上に座ってやったりするのもいいなーと思います

 

余談ですが、歩道に設けられたベンチは、ありがたいのですが、外国時のツアーがひっきりなしに前を通りますので、ちょっと気は散ります・・・

 

 

東京駅(正面横から)

東京駅(正面横から)

美しくライトアップされた東京駅

この駅は、いろいろな人の人生ドラマを見てきたことでしょう

つらい別れ、新しい門出

 

東京駅(斜め上から)

東京駅(斜め上から)

丸ビルから見た東京駅

 

昨日の午後は、「経年優化」、これは三菱地所さんのライバル会社である、三井不動産さんが使われている言葉ですが、むしろそれにぴったりな街が、丸の内ではないでしょうか

 

歴史を活かしつつ、進化し続けていく街

その実行力に、素直にリスペクトした半日でした

有難うございました

 

それでは、皆さん、夜は冷え込んできていますが、暖かくしてお休み下さい

 

駅ホームのきしめん屋さん

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おはようございます

今、名古屋から東京へ向かう新幹線の中、3列シートの真ん中です

 

写真は、名古屋駅新幹線ホームのきしめん屋さん

 

普通のきしめんが、350円

今日は、玉子入りを選びましたが、400円

 

出来立て

鰹節が湯気で上に立ち上っています

 

冬は、身体を温めてくれます

あと、飲み会があった次の日の朝は、癒してくれます

 

そして、何より、おばちゃんが出してくれる

AIやロボットじゃない

 

人のぬくもりがある

 

孤独な出張旅のささやかな憩いの一時でした

 

有難う!

 

今、横浜付近ですが、薄いブルーの空から柔らかな日差しが、辺りを包んでくれています

 

どうか、良い一日をお過ごしください

 

思い通りの環境は整わない 自分が環境をつくる

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ジョギング中に撮影した写真

 

おはようございます

今週は、朝の冷え込みも緩んで、気持ちのよい晩秋の日々が続いています

 

会社に行く直前、すこし短めに記事をUPします

 

はじめ、タイトルを100かゼロかで物事を捉えない、にしようかと考えましたが、

受身的だと思って、変えました

 

中途半端、あるいは逆風の環境でも、いかに「自分がハンドリングできる環境」をつくろうとしているか、ということが、大事なことかと感じます

 

昨日は、他の部署の部長以下との打ち合わせがあり、こちらも、部長以下、私は説明の主担当者として、説明をはじめました

すると、ときどきブラフというか、攻撃的な指摘を、先方の部長がしてきます

 

こちらは、まあその部長の性格も分かっているので、冷静に切り返すだけで、痛くもかゆくもありません

 

ただ、さすがに理不尽というか、ここは言うべきところというところは、若干の感情も交え、応酬しました

 

先方の部下も、これはまずいと思ったのか、その後は、終始私の発言をどちらかというとうまくサポートしてくれるような流れになり、最後は先方の部長も妥当な判断をしてくれました

 

あとで、わざわざ、こちらの部長が別室でフォローしてくれましたが、私が冷静でいられたのは、自分自身への信頼残高が貯められてきたからかと思いました

 

その理由として、一つは、以前続いていた、アルコールへの逃避をほぼ断ち切れたということ

 

朝のジョギングをうまく続けられているということなど、自分自身を良い形で毎日リセットできる「ルーティーン」ができていることがあります

 

また、もう一つは、違う場で、自分を認めてくれる人がいるということもあります

 

少しだけ、その点について書き加えたいと思います

 

会社で回覧していた雑誌に、日本理化学工業の大山泰弘会長の言葉が載っていました

 

障がい者雇用に向き合い続け、人の究極の幸せは4つだと悟ったとして、

 

「人から愛されること」

「人に必要とされること」

「人の役にたつこと」

「人から褒められること」

 

この4つを日々体感し続けることで人は幸せな人生を送ることができる

 

ただ、大事なのは、これは一人ではできない

 

かかわる相手がいてこそ得られるのが幸福感だということです

 

自己満足という言葉があっても、自己幸福という言葉はないと

 

この4つについて、私は、以前より実感をもてている気がします

 

それは、本当に周りの方のおかげなのですが、きっと自分が以前のように「環境」のせいにしていた状態では、そうならなかったと思います

 

周りの環境がどうであっても、そこでどうやったらいいのか、毎朝リセットして、心がニュートラルな状態で、日々、人に向き合うしかなかった

 

つまりは、自分が環境をつくるということだったのではないかと思います

 

この4つについては、最近メンバーとの向き合い方で、時々意識しています

 

ただ、その人の仕事の進め方に問題があるときは、はっきりと言います

ほめる時は、感情をこめてほめる

ともかく、本気で向き合うということを続けています

 

あとは、「遊び」です

一昨日は、メンバーと「歩きながらミーテイングしよう」ということで、オフィスを離れて、仕事の内容とも関連する場所まで行って、その近くのベンチで打ち合わせをしました

 

決まりきった形にこだわらず、いまある環境、リソーセスの中で、どこまで「自分の環境」をつくれるか、遊び心をもって挑戦し続けられるか

 

客観視する自分もいます

 

慢心してはいけないと思う次第ですが、卑下しすぎてもいけない

 

感情の起伏は、あっていい

でも、おびえることなく、ニュートラルな自分自身に対して、正直でありたいと思います

 

それでは、今日も元気に、行ってらっしゃい!

 

断捨離(仕事編)について ~ 忖度、手段の目的化・・・全て揃い踏みのプロジェクトは5年間続いた

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こんばんは

昨晩は、3ヶ月前に終焉した、あるプロジェクトのメンバーが集まり、忘年会がありました

 

そのプロジェクトは、会社が属しているある企業グループで5年以上続いたのですが、タイトルにもあるように、「これって本当に意味あんの?」というものでした

 

私の所属する会社は、グループの中でも、規模が一番小さく、発言権も小さいですが、今年の前半期、かなりメンバーの中では古株になってしまった私は、問題が根深いことが分かっていたため、自分の役割と思い、あえて前のめりにつっこんでいきました

 

ちょうど親会社の「見直し」の旗振りが出たこともあって、メンバーとかなり熱い議論をして、ようやく半年かけてやめることができました

 

その本当の議論をしたメンバーとは、ある意味戦友のような気持ちが芽生えて、終わってから少し立って飲み会しようということになったのでした

 

ちなみに自分もメンバーの一人なので、批判することは、とりもなおさず、自分の無能さ、無責任さをさらけだすようですが、以下、自戒をこめて少し書かせていただきます

 

あるグループの総帥の一言から始まった、というのが、オフィシャルな話

昨日、集まった10人ほどのメンバーで、最初の頃を知っているのは2人だったので、

なぜ、このプロジェクトがはじまったのか、本当のところはどうだったのか聞いてみた


ただ、その2人の間でも、このプロジェクトの始まりには、かなりのくい違いがあった

奥の院で決まったことが、表に出てくるまでに、「忖度」が働いて、いろいろストーリーができてきたようだ

 
トップが言ったことの真意をとらえ、あるいは気持ちを推し量って、先んじて自らお膳立てをすること

これは、ある意味、人の気持ちがわかる、営業的素質がある、とも言えるので、決して悪いことではない

それに、トップが決めた方針を下に、実行部隊が企画を立案していくのは、仕事の進め方として自然である

 

ただ、その過程に「お客さんが喜んでくれるか」が抜けると、トップと忖度した人だけの、自己満足プロジェクトになってしまう

 

 今回のプロジェクトは、かなりカッコイイ大義名分がお題目としてついている

それが、一見かっこよければよいほど、誰も批判できない

そして、ITを使って、解決していこうとするというのも、お題目の中に含まれていた

 

・グループ会社全体をまきこんでやろうとするプロジェクトで、やろうとしていることは壮大

・いままでにない発想で、なんとなく、チャンレンジっぽくも見える
・時代はITをいかに使いこなすかが問われているから、目の付け所もイイ感じだ

 

(本当はプロジェクトをもっと具体的に書きたいですが、抽象的でごめんなさい)

 

こういうのが、一番危ない

 

左脳、つまり理屈ばかりで進めようとする

なにか、もっともらしいけれど、本当は誰もそんなもの必要としていない

右脳的には、すごく違和感があって、気持ちが動かない

 

でも、サイは投げられてしまう

グループの役員会の場で話が出て、正式にスタート

グループおかかえのコンサルに、設計が託され、システムがつくりこまれていく

(実は、システムはつくりこむと、不具合や古臭くなってしまったときに、特注で、作成者にメンテを頼まないといけないという、課題がセットでついてくる)

  

そして、システムのつくりこみの過程から、定期的に、グループ会社から推進者(メンバー)が集まることになる

稼動がはじまると、運営のやり方を話し合い、都度課題に対する対応や、コンテンツの内容を決めていくことになる

 

コンサルが、打ち合わせ資料を準備し、説明する

ただ、その場で議論するのはかなり難しいのだ

メンバーの人数は、10~20人の間くらい

グループ分けもしないので、議案に対して「一言コメント」を言うのが関の山

 

その一言コメントを聴いていると、私は別として、メンバーの皆さん頭いいなーと感じる

実は、各社経営に近い部署から集まっていて、発言を聞いていると、だいたいなるほどと思うようなロジックや着眼点がある

打ち合わせに出ると、自分まで頭が良くなったように錯覚するくらい

 

それでも、はっきり言える

5年間、毎月1回くらい集まって行った打ち合わせは、ほとんど価値が無かった

それを思うと、悲しい

 

 前提自体に誤りというか、無理があることに、皆うすうす気付いている

コンサルは、そこにふれようとしない

 

我々メンバー側も、自己防衛が働く

自分だけ、いや自分の会社だけ親会社に反旗は翻せない

まあ従っていればいいやという無責任状態になる

 

総帥がその目的を言ったということに表向きなっているので、親会社側の担当者も

変えられないと思ってしまっている


こんなことでは、どんなに、目先「いい発言」をしても、カバーできない

 

忖度×手段の目的化(IT)×お客さん不在×コンサル丸なげ×システム特注×セレモニー会議

 

この前提を変えないかぎり、いくら優秀なメンバーでもどうしようもない

 

教訓

「仕事は、どういうお客さんがターゲットで、サービスを受けてどういう状態になっているか、イメージができることが大事」だと、つくづく思います

ある意味、壮大で贅沢で、無駄の極致とも言える経験でした

 

今日は、ちょっとネガテイブな話で、不愉快と感じた人もおられるかもしれません

ただ、他山の石として読んでいただければ幸いです

 

それでは、皆さん、おやすみなさい