こんばんは
この写真は、名古屋城にまだ残っていた紅葉の名残です
東京の皇居と同じように、お城は街の中に自然を残してくれています
今日は、東京から来た友人のアテンドで、名古屋城本丸御殿と、徳川美術館に行ってきましたが、どちらも、見ごたえはありました
本丸御殿は何年間かかけて少しずつ復元していましたが、とうとう今年すべてが完成
一番奥は、3代将軍、徳川家光上洛の際に迎えるために作られた上洛殿と呼ばれるエリア
入り口から奥にいくにしたがってつくりは贅が凝らされていきます
ただ、一回きりのためにここまで用意するかと考えざるを得ません
そのためにどれだけ多くの人の労力が費やされたか
確かに美しいというか、すごいとは素直に思います
ただ、何か落ち着きません
権威、権力を感じることはあっても、リスペクトというのとは違います
それに対して、徳川美術館の方は、所蔵品それぞれから、凛とした気品とともに、訴えてくるものがあります
所蔵品は、刀剣、具足、能の道具、絵画など
残念ながら写真不可なので、うまく伝えられませんが、作った人、使った人、それぞれの思いも詰まっている気がします
本丸御殿は、「建物」全体がもつ威圧感から、権力が表に出てしまいすぎる気がします
それに対して、徳川美術館の「道具」は、権力があればこそ、パトロンとして、芸術家を支援したり、一級の芸術作品を収集できるものかもしれません
でも、一つ一つ、一人の職人の思いと技術でつくられたもの
ただ、どちらも尾張徳川家という権力があればこその、芸術あるいは技術ということも否定はできません
今日、一番、ほっとしたこと
私は詳しくないのですが、同行の友人の語り口や、多くの人が熱心にビデオの解説に耳を傾ける姿に、人々が安らぎを感じるのはこういった芸術だと思いました
なぜ人々が、「もののあはれ」に惹かれるのか
それは、権力の空しさや影を、どこかで人々が感じているからではないでしょうか
執着しすぎるのは問題かもしれませんが、細やかな情愛、日々の営みというものに、人々は幸せや安らぎを感じます
人々は、無意識に「権力」を求め、それに従うことを求める存在でもあり、
同時に自分の周りの人々との関わりの中で、自分を取り戻す存在でもある
私自身の中でも、一口に芸術というものでは括れない、簡単には割り切れない、感情の揺れ動きを感じました
それでは、今日はこの辺りで
おやすみなさい