おはようございます
先週の金曜日の夜の席で、今年の秋に行われたスポーツイベントが話題になりました
そこには、沢山の人がボランティアで参加したのですが、明らかに事前の準備が不足しているようでした
私を含めて、ボランテイアの一部のメンバーは、担当が決まっていない
そこである青年が人数を確認し、事務局側で不足しているポストを見つけて、一人一人割り振り始めました
なかなか偉丈夫で、引き締まった身体の、スポーツマンに見えます
次の日も、その青年が、1日の段取りを確認しながら、チームに連絡・指示しながら、メンバーをまとめていってくれました
恥ずかしながら、私も他の年配の、おそらく会社では管理職とよばれるメンバーも、彼のリーダーシップに頼り、彼の統率の下で、動くことになりました
いままで、さんざんマネジメントに関する本を読み、研修を受け、自分が研修事務局側に廻る事があっても、実践できていない自分
職場では、曲がりなりにも、自分のマネジメントをやっているつもりだけど、それは、職制という前提の上にあぐらをかいていたにすぎない
ただ、半分良い訳ですが、必ずしもマネージャー=リーダーでなくても良くて、次世代マネージャー育成という面では、望ましいと思います
でも、いざというときは、リーダーもできるんだと思い込んでいた
話を、戻します
もちろん、その時、われわれも、決して受身で行動していたわけではありません
ただ、誰かからの指示を探す方に頭がいってしまっていたような気がします
紙で書かれた指示、大会のマネジメントラインによる指示、それを確認する方を優先しようとしてしまう
でも、そんなものが機能していない場では、時間のムダ
ついつい、自分の与えられた役割に忠実にあろうとしてしまうけど、その役割分担表が、架空の前提につくられたものだといかに見破るか、
そして、いかに役割分担を現場で再構築していくか
職制によらないマネジメント=リーダーシップ
臨機応変にその場の状況を把握し、判断し、メンバーをリードしていく
これは、災害時にも同じようなことが想定されますが・・・
また、大昔の話を持ち出して恐縮ですが、縄文時代の村長、サル社会のボス・・・も同じではなかったでしょうか
身体も丈夫で、頭の回転もはやい
人をひきつける魅力がある
「紙文化」や「組織統制」が無い時代は、そうやってリーダーが決まり、人々を導いたのではないでしょうか
人材育成やリーダーシップについては、企業の人事の研修のテーマの一つですが、この大会でのボランティアの参加は、「人材育成」そのものではないかという結論になりました
いわばいろいろな氏素性の、老若男女が集まり、ほとんどぶっつけ本番で、誰かから権限が付与されているわけではない
その中で、自分のポジションを自分でつくり、まったなしの状況で、適切に判断しリードしていく
ダイバーシティーといいますが、いろんな能力、個性をもった人たちを活かしていくということも必要
お金で集まっているわけではないですし、モチベーションも微妙で、ボランティアさんにちゃんと役割が用意されてますーという世界を期待している人も多い
そういう人たちを束ねていく
本来望ましい状況ではないのですが、リーダーシップということの本質的な意味に、気付くことができて良かったと思うし、自分自身の能力、性格も、否応なしに分かりました
ちょっと苦い経験でもありましたが、気付けてよかった
こんな機会をもらえたことに感謝しています
それでは、皆さん、良い日曜日をお過ごし下さい