こんばんは
正月明けからスタートしたNHKの大河ドラマ「いだてん」
2020年のオリンピックを意識してか、今回は時代劇ではないですね
それもあって、あまり興味を持っておりませんでした
ただ、1月13日(日)の回では、たまたま「海軍兵学校」が出てきましたので、このブログでふれたいと思います
主人公は、海軍兵学校を受験しますが、目の調子が悪くて落ちてしまいます
テレビのストーリーとしては、そこで出てくるだけですが、私にとって、この学校の名前を小さい頃からよく耳にしていました
実は、私の父、かなりの高齢ですが、海軍兵学校に在学中に終戦を迎えました
翌日、14日にも、その兵学校時代の集まりがあって外出していました
この学校での生活は、父にとっては輝かしい青春時代そのものであったようです
イギリス海軍のダートマス、アメリカ海軍のアナポリスと並び称された、名の知れた海軍士官を養成する学校で、戦前・戦中は、東大とも並ぶような難易度の、若者の憧れの学校だったそうです
父は九州の山奥の出身ですが、従兄弟がそのカッコいい制服姿で郷里に姿を現して、それに魅了されて、志願したようです
四方を海に囲まれた日本にとって、海軍力はひじょうに重要であり、貧弱な工業国であった日本は、明治維新以来、腐心して、3大海軍国の一角まで力をつけてきます
その海軍を率いる士官に対する教育は、ある意味エリート教育の頂点であったようです
そもそも海軍は、海という自然の中で、船という乗り物を操船し、戦わなければいけないことから、合理性や冷静な判断力、勇気が問われます
そこで、シーマンシップの3S精神というものがあったそうで、
1.Smart
2.Steady
3.Silent
といわれ、千変万化する海上において、
すべての措置がSmart(機敏)でなければならず、また、Steady(着実)であり、かつSilent(ムダ口は叩かない)ことが大事だそうです
とくにSmartが大事とされて、「いつも先のことを考え、手順よく事をはこぶ」習慣が重視されます
また、ある陸軍少尉は、回想談として次のように語ったそうです
「陸軍では人間よりも兵器や馬を大事にしていた。
一方、海軍の教育は、単なる戦争技術やではなく、一個のまともな人間を作り出すことに目標を置いていたように思う。
だから、海軍兵学校の教育は、戦後の社会にあっても、そのまま通用し得るだけのものを持っている。」
また、兵学校出ではない、学徒出身の予備士官の妻の一人は、ご主人のことをこう言っていたそうです
「あのひとは、いまでも海軍に心からの愛情を持っている。あれほどまでに海軍を愛する心を育てた海軍の教育は、たいしたものである。とにかく、一本なにかが通っている。けれど、つまらないことのはしばしにまで、いわゆる軍隊くささが感じられるということはない。」
海といえば、私自身、前の会社で東京勤務の頃、柄にもなく、毎週末、葉山に通い、ディンギーと呼ばれる小さなヨットで、練習やレースに明け暮れていた時期がありました
そこで、海の上では、全人格が問われるということを痛感しました
パートナーとなるメンバーとの信頼関係がなければ船は操れないし、海の中で気を抜けば命に関わることもある
ましてや、敵と命のやりとりをする軍艦の上では、部下への統率力や様々な事態に対処できる柔軟性も含めて、ホンモノでなければ、士官は務まらないということでしょう
もう一つ有名な逸話が、この学校にはありますが、戦争末期になって、井上成美という方が校長になります
この方は、まだ勝ち戦の頃、珊瑚海海戦という戦いで司令長官として指揮しましたが、苦戦して、天皇からも、「井上は学者だから、戦は下手だね」と言われてしまいます
ただ、見識は図抜けていて、対米戦争には反対で、米内光正と井上成美がいたからこそ終戦に導けたとも言われています
この方は、敗戦も見越していて、戦後いかに日本を立て直す優れた若者を育てていくかということを校長として思い巡らせていたそうです
例えば、入学試験から英語を除こうという動きが出てきたときに、「世界中のどこに、自国語しか話せない海軍士官がいる」と一刀両断
もう父も高齢ですが、海軍兵学校に通っていた人も、ほとんど鬼籍に入っていってしまいます
こういう学校が、かつて日本にあったということ
少しノスタルジーが交じってしまいましたが、思い返して書いてみました
最後に思うことですが、この学校では、マネジメントとかリーダーシップについて、真剣勝負の中で鍛えられたのではないでしょうか
ちょっとだけ、当時の海軍兵学校で、どんな表情で若者達が学び、教練に勤しんでいたのか、タイムスリップして覗いてみたい気がします
それでは、今日はこの辺りで
おやすみなさい