ナゴタロの感謝日記

名古屋在住の50代前半、サラリーマンの日記です

50代の仲間入り、~賃下げ圧力、中高年に集中~ 「逆境を生きる」(城山三郎)

逆境を生きる

 

1.復帰のご挨拶

 

皆様、大変ご無沙汰しております

ナゴタロです

気がついてみれば、去年の春から更新しないまま、月日が過ぎてしまいました

 

仕事、職場での日々に、気持ちの余裕が持てない時期が長くなり、いつの間にか、ブログを書く意欲も薄れていました

 

もっと言うと、いわゆる自己嫌悪に陥っていて、鬱々としていました

 

それが、漸く、ここ1ヶ月位で、考え方が変わってきました

 

自分の気持ちにばかり焦点をあてて、境遇を嘆いたり、自分を責めていても、何も生まれない


というか、折角この世に生まれてきて(あるいは生まれることを選んで)これたのに、そういう決断をした当時の自分?に失礼

 

100か零かみたいな思考じゃなく、この与えられた環境や自分自身をまず認めた上で、どこまで人生を投げ出さずに、前に歩いていくかしかない・・・

 

そう思えるようになってきました

 

 

2.WILLが原点、「逆境を生きる」の3人の男たち

 

今日は、久しぶりのブログですが、最近読んだ本のご紹介から始めたいと思います

 

日曜日の日経の見出しを、このブログのタイトルに入れましたが、2月で50代に仲間入りした、私自身身につまされる記事が、よく見受けられるようになってきました

 

中高年は苦しい立場に追い込まれているというこの記事の締めくくりは、だからこそスキルを学び直そう・・・といった内容でした

 

ただ、よく言われますが、

・WILL(自分がやってみたいこと)

・CAN(自分がやれること)

・MUST(自分に求められていることや期待)の輪でみて、

本当にそういう単純な話でしょうか?

 

ロボットではないのだから、スキル=CANを上げれば良いといった単純な話ではない

 

スキルを上げたいと思うところが出発点ではないか

 

でも、現実は、だんだん、気持ちに新鮮さが失われて鈍くなっていて、WILL(自分がやってみたいこと)はしょぼんでいっている

 

それでいいのか?

つまりは、自分のWILLを呼び覚ますところがスタートかと思いました

 

たまたま手にとったのが、城山三郎氏の著作「逆境を生きる」

  

逆境を生きる

逆境を生きる

  • 作者:城山 三郎
  • 発売日: 2010/02/26
  • メディア: 単行本
 

 

明治以降、政治や社会に翻弄されながらも、自分の信条によって、生を全うした男たちが描かれています

 

城山さんが書かれた内容を、時代順に3名の人物を軸にして、自分なりにまとめてみたいと思います

 

田中正造

日本初の公害事件と言われた、足尾銅山鉱毒事件を明治天皇に直訴した政治家として有名ですが、彼は反対運動の急先鋒であった谷中村に、十数戸の家族と立てこもります

衆議院議員であり、議長にも目された人ですが、財産を運動に投じて、最後はズタ袋に、小石と聖書とちり紙だけが残されていたと言われています

その谷中村で運動を続けていたときに、農民に対して言った言葉は、決して自暴自棄ではなく、彼なりの人としての矜持が感じられます

 

「役員と向かい合うときは、紳士的に応対すること

感情に任せて生意気なことを言ったり、利口ぶったことを言って、その時は勝っても、長い人生を生きていくときにしこりが残るかも知れない」

 

それに対して、役人も、嘆願書の受付時間の夜12時が過ぎても、時計を止めて待ってくれていたりする

役人が役人の立場を離れて、時計を止める

 

公害に対する反対運動としうWILLを貫きながら、一市民としてのMUSTを守る、則を超えない そして、CAN、できる限りのやり方で運動を続けていく

 

辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫)

辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫)

  • 作者:城山 三郎
  • 発売日: 1979/05/23
  • メディア: 文庫
 

 

浜口雄幸

昭和のはじめに総理大臣となりますが、金解禁、軍縮、緊縮財政を成し遂げた、昭和5年(1930年)に、東京駅で銃弾を受けます

その後暫くして、その傷が元で亡くなりました

 

「自分は一身を燃焼させて、命を懸けてやってきたから、ここで斃れても、男子の本懐だ」と言ったそうです

 

ライオン宰相と呼ばれた彼は、風貌はいかつく、またもともと無口であったそうですが、 情熱+努力の人だったそうです

 

組閣にあたっては、性格も異なり面識もなかった、日銀の井上準之助を大蔵大臣によぼうとしますが、井上氏は難色を示します  浜口氏は彼を口説きます

 

「財政整理(公務員の一割減棒)をやればうらみを買う

軍縮をやれば、軍部のうらみを買う

デフレ政策をやるが、推進して命が助かったものはいない」

 

「しかし、死を覚悟してやる、自分と一緒に死んでくれないか」

 

井上氏は申し出を受け入れました

 

浜口氏の言葉です

「政治は国民道徳の最高標準たるべし」

「もっともっと多数の国民のためになる方法はないかと、右からも左からも上からも下からも考え抜くことだ」

 

本来、彼は政治家向きではなかったそうですし、大蔵官僚だったころあちこち地方にとばされたそうですが、どこに行ってもイギリスから「タイムズ」を取り続けていたそうです

もう東京へ帰れないとあきらめるのではなく、目線はつねに高く、時代の流れの先端とか大局をつかむ努力は忘れない

 

ようやく地方から、大蔵省本省に戻されると、塩業の官業化を行う担当を命じられます民間から恨まれてしまう役割

それでも、2年後、役所特有の異動がありますが、次の昇進ポストをことわって、塩業の仕事を引き続きやらせてくれと言う  

好きじゃないけれども、やりにくい仕事だから、やり遂げるまで替わるわけにはいかないと言います

 

また、政治家になったら演説をしなければいけないということで、無口な彼は、人の演説をきいてまわる、海へ行って演説の稽古をします

草稿は自分でつくりますし、演説の約束をしたら、かならず行きますし、丁寧にしつぎ応答をします

台風で道が閉ざされたら、車を捨てて、歩いて夜中の二時に会場に辿りついたそうです

そんな姿勢から、やがて総理大臣に推されるようになり、冒頭に挙げたように、野党からも自分たちのやることがなくなってしまうと言われるような政策を実現していきます

  

男子の本懐 (新潮文庫)

男子の本懐 (新潮文庫)

 

 

 

広田弘毅

 

A級戦犯で死刑になった7人の中で、軍人でないのは広田弘毅元首相の一人

城山氏は、戦争を起こさないよう最大限努力した人と記しています

 

外務省に入った広田氏ですが、当時の(今も?)外務省では、家柄が問われますが、世間的には魅力的な縁談を持ち込まれても、あくまで学生時代につきあっていた相手と結婚します

また、オランダ公使に左遷された時期がありますが、平戸・長崎にいって交渉史を学んだり、部下をインドネシアに派遣して、オランダの植民政策を調べたり、MUSTに誠実です

日本に戻って、総理大臣になってから、新居を探そうとすると、他の人が是非にと持ち込んでくる土地が、少しでも安いと断ってしまいます

「なぜなら自分は政治家だから」

 

彼は、近衛文麿が総理大臣になる際には、外務大臣を頼まれ、引き受けます

元総理経験者ですが、自らが必要とされていて、それに応えるべきだと判断する

 

そして、彼が外務大臣のときに支那事変がおき、やがて東京裁判で責任を問われてしまいますが、裁判では、一切自分の弁解をしない 

検事調書上では、広田氏は、すべて罪をかぶるようなことを言っている

 

城山氏によると、それは天皇に罪がいかないようにするため、日本が混乱に陥らないようにするため ある意味、「自ら計った」最初で最後ではなかったか、と記しています

 

そして、広田氏の痛烈な洒落


処刑にあたり、前の組の東条英機たちの天皇陛下万歳をきいて、「さっきの組はなにか漫才をやりましたね」

戦争を起こし、国民にも言わせ続けたにもかかわらず、相変わらず万歳をやっている連中がいるという、洒落

もちろん、自身が教誨師から、万歳を勧められても、断ります

 

落日燃ゆ (新潮文庫)

落日燃ゆ (新潮文庫)

 

 

 3.3人に共通するもの

 

あらためて、WILL,CAN,MUSTをもう一度3人にあてはめて考えます

 

<CAN>

3人とも、優れたCANの素養はあるけれども、CANを磨き続ける努力を怠らない

でも優先順位から言うと、WILL,MUSTの次ではないか

 

<MUST>

田中正造は地元の公害事件を目の前にしての代議士として

浜口雄幸広田弘毅は、それぞれ一国を預かる政治家として

それぞれ、MUSTを体現しているように見えます

でも、よくみると、自分がとるべきMUSTを選んで、積極的に取りに行っている

 

たとえば、広田氏は軍国主義を後押しすることは、MUSTとして捉えていない

つまり、前提にしっかりしたWILLがある

 

<WILL>

自分自身の内面にあるWILL

それは私利私欲ではなく、信条といったものでしょうか

 

 彼らは、しっかりとしたWILLをもっている

自分もどうしたら、逆境でもWILLを持つことができるか

 

4.WILLを失わないための知恵

 

評論家の山崎正和氏は、「柔らかい個人主義の誕生」でこう言っているそうです

 

寿命ものびた、休日が増えた、家族が核家族化してきた、国家の役割が小さくなった

一丸になって勝つ、経済大国になるという時代は去った

 

生きる目標は、国家や社会や会社や家が与えてくれるものではなく、良くも悪くも、一人一人が見つけていかざるをえない時代、


自分を支えてくれるものは自分しかいない

内心に秘めた、静かな強さが必要

 

 

 

生きる目標=WILLと言い換えてもよいかと考えます

 

50代の仲間入りをした自分も、WILLをもう一度しっかり取り戻し、持ち続けるためには、どうしたらよいか


城山氏は、アメリカの精神心理学の考え方を引用しています

 

人間を支える3つの柱がある

 

・self(自分だけの世界)

・intimacy(親しい人たちとの関係)

・achievement(達成感、仕事でも趣味でも良い)

 

あの浜口氏も鎌倉に別荘を借りて、1ヶ月に数回一人で足を運んで、座禅を組んでいたそうです

 

私自身、幸いにして、自分だけの時間を持つことができる余裕はある

身近に家族がいる

達成感という意味では、仕事ももちろんだけれども、このブログも含め、自分次第で見つけるができる

 

こういう環境を大事にして、WILLをしっかりと自分のなかで育てて、持ち続けたいと思います

 

 

4.逆境におけるWILLとは

 

最後に、この著作の中にある、浜口首相のエピソードを引用して、今日のブログを終えたいと思います

 

彼は、銃で撃たれたあと、「会期中にかならず登壇する」と約束します

国民に対する約束

 

しかし、病状が悪化して、靴が履くと歩けない

 

どうしても、国会に立ちたいと涙ながらに奥さんとお嬢さんに頼んで、布を靴の形に切り、それに墨を塗って足につけて、国会に立ったそうです

 そして、間もなく亡くなりました

 

私はそこに、WILLの力を感じます

 

それでは、今日はこの辺で失礼します

コロナウイルスは心配ですが、少しずつ春の足音が近づいてきていますね

皆様、残り少ないですが、よい週末を

 

ナゴタロ@名古屋の自宅にて