おはようございます
今日は、ちょっと重たい話題です
たまたま、昨日選挙からみの関係の話をききました
私は政治の世界は、できるだけ関わりたくない
そう思っていましたし、今でも基本は変わりありません
政治、経済、文学・・・
いろいろ世の中が動く、動かされる仕組み、仕掛けはありますが、
経済というか、実業の世界が、正直一番健全な気がします
もちろん、政治も文学も、必要なものですが、
自分が一線を引こうとしているのは、そこに頭をつっこむと、のめりこんでしまいそうで、こわいというのもあります
そういう中で、ネットサーフィンをしていたら、
戦中の沖縄県知事で、島田叡(しまだあきら)さんという方の存在を見つけました
政治の世界でも、リンカーン大統領とか、ケネディ大統領とか、理想を掲げて力を尽くす中で、凶弾に倒れるという方が、英雄視されることがあります
この方も、それに近いかもしれません
戦時中に、死ぬ可能性が高いことがわかっていながら、沖縄に赴任して、力を尽くし、最後は亡くなります
名知事として、今でも沖縄の方から敬愛されているそうです
東大時代は、野球部のスター選手で、ラグビー部ともかけ持ちするなど、スポーツマンだったそうですが、彼は、1945年1月、もう沖縄へ米軍が上陸することがわかっていたときに、沖縄県知事の打診を受けます
(戦前は、官選でしたので、選挙はありません)
当然、死ぬことを覚悟したことでしょう
赴任すると、軍との関係改善、県民疎開、食糧の分散確保など、実務的なことを、きちんと進めていき、県民からの信頼を得ていきます
また、思いやりをもっていたことが、いくつかのエピソードで伝わってきます
女性の職員が、井戸や川から水を汲んできて、洗顔を進めても、
「命がけで水を汲んできてくれたのだから、おそろかには使えない」といって、ほんの少ししか水を使わなかったり
また、これは大局から見れば、判断として意見が分かれると思いますが、軍の首里からの撤退と南部への転進については、「南部には多くの住民が避難していて、巻き添えになるから反対である」と言ったそうです
以降、沖縄戦の状況にともなって、地下壕を移転させ、軍部との連携を持ちながら、指揮をとっていきますが、最後は、ある壕で自決をされたようです
島田さんの前任者が、現地になじめず、東京出張中に香川県知事に任命されて転任したことも知られていて、その対比で、島田氏の事跡が美化される傾向になりがちかもしれません
でも、兵庫県出身の彼が、本当に沖縄の人を思い、身を処して、任にあたったということは、間違いないと思います
私が感じたことは、
マネジメントをしていく立場の人は、こういったぎりぎりの局面での行動を通じて、信頼されるかどうかが、はっきりとしてくるということです
・厳しい環境下でも、必要であればその局面に自ら入り、
リーダーシップを持って任にあたる
・てきぱきと優先順位をもって、実務をまわしていく
・関係部署との連携を大事にする
・お客様やチームメンバーの気持ちがわかり、言動が一致している
また、その背景には、「覚悟」が必要なんだと思います
島田さんは、「葉隠」と「南洲翁遺訓」の考え方に、深く感銘を受けたとされています
すこし「葉隠」について書きます
「葉隠」は、江戸時代の中頃、佐賀鍋島藩の武士が、「武士の心得」としてまとめたもので、私自身は、高校3年生のときに、塾の先生から教えてもらいました
「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という一節が有名で、戦時中の特攻などに、この言葉が引用されて誤解されることがあるそうです
その真意は、
自分の利害とか、表面的な感情から、物事を考えたり行動するのではなく、
本当に大事なことのために、身を捨てる覚悟で、処していく
ことが肝要という意味です
島田さんは、きっと、いろんな意味で、「葉隠」を体現されたのではないでしょうか
今日は、空も澄み渡り、穏やかな朝を迎えられました
自分自身に対して、まっすぐな気持ちで、
周りの人に対して、相手が伝えたいことに耳と心を傾けて、一日を過ごしていきたいと思います
皆様、今日も元気に、いってらっしゃい!