こんばんは
季節はずれですが、夏の青い海
愛知県は西尾市吉良町にある「和カフェたらそ」でとった昼ごはん
絶景がごちそうでした
カレーも・・・ 1,200円でちょっと高いけど
たまには、こういう時間やお金の使い方も良いのではという気がします
なんか、ぜいたくーな感じ
今日は、たまたま、会社で、役員の秘書っぽい仕事に絡むことになり、レベルが違う、あーこういう世界もあるよね(注)という面を垣間見ました
注:高級レストラン、お座敷・・・とか
なんだかうらやましくもありますが、
たぶん"西郷どん”に言わせると、贅沢に浸りきっている
でも、贅沢って何?
「本物」の世界って、手間ひまもコストもかかっているから、しょうがないかも
一方、私は、「質実剛健」という言葉に弱くて、
オレは、質実剛健なんだ・・・と自分に言い聞かせてます
実は、単純に面倒なので、物事にこだわりないように見せかけているだけなんですが
そもそも、人生、毎日毎日、にこりとも、にやりともせず、真面目くさった顔で、書を読み、竹刀を振り、帳面をつけるなどという生活
(なぜか、江戸時代の武士風な説明)
3日しかもたないんではないでしょうか?
誰かが、インスタントラーメンもうまい
でも、高級なフランス料理もおいしい
そんな、どんな世界でも、その場を楽しめる人がかっこいいといった人がいたと聞きました
すごーくお金があるかどうかは別として、その時々の”贅沢”を楽しめる余裕があるかどうかというのも、センスのような気がします
「人生に必要なのは、希望、勇気、そして少しばかりのお金」
チャップリンが言った言葉ですが、
ちょっとはお金をもってて、贅沢することも必要だよ・・・という風にきこえます
それから、うろ覚えですみません
ずっと昔に読んだ小説ですが、
貧しい若い夫婦がいて、妻のたった一つの贅沢が、
レモンを買ってきて、その香りを楽しむこと
という一文が情景となって、印象に残っています
どんなに貧しい環境でも、「贅沢は素敵」なのかも
余談ですが、日本が戦争中の頃、「贅沢は敵だ」という標語があって、その”だじゃれ”になったそうですね!?
人間の本性として、余裕をもったり、ハレの日を楽しむことは、不可欠なんでしょうか
ただ、アルコールに溺れたりするように、なにか心の透き間を、買い物や食事で、埋めないといけないというように、心が麻痺しなければ良い
でも、僕は弱い存在なので、
「質実剛健」と唱えつつ、「断捨離」を心がけないと、贅沢依存症になるのが怖いです
やっぱり、今の僕にとっては、
・毎朝、青空と緑のある場所で、ランニングできる時間をもてること
・娘と遊ぶこと
・家でおいしいご飯を食べること
ができることが、十分「贅沢」な気がします
自分だけの「贅沢」を、目いっぱい楽しめることに、感謝したいと思います
それでは、きょうはこの辺で
おやすみなさい