みなさんこんばんは
金・土とブログをお休みしました
もちろん書きたかったのですが、金曜日は不可能でした
それは・・・弾丸海外出張をしていたから
海外出張なら、Wifi持って行けば書けたんではないの?
はい、ちゃんと準備してればですが、木曜出国、金曜は帰国予定という、超短期だったため・・・
結局、土曜日の夕方、自宅に辿りつきました
ということで、間は空きましたが、今日は「上海」をテーマに2人の男について書きたいと思います
一人は、豊田佐吉氏
トヨタグループの創始者で、G型自動織機、別名マジックルームと呼ばれた、当時の最先端をゆく機械を発明した人です
いつか、この人について、もう少し深く取り上げたいと思いますが、50代前半、彼は上海に渡り、紡織(生地織り)をする工場をつくります
当時すでに日本の繊維業は、上海に工場を建てて、紡織を行うことが流行になってきていたので、それと同じといえばそれまでかもしれません
でも彼は、できるだけ高賃金で雇用し、また管理職にも中国人を任命するなど、彼の言葉で言えば、「日中親善」という思いを強く持っていたようです
また、その懐刀として、西川秋次という人がいましたが、第二次世界大戦で敗戦したあと、「これからが本当に大事な時期である」として、残留して中国の経済の発展に尽くします
ビジネスとしても、大きな利益があがって、トヨタグループが自動車産業に進出する際の資金源ともなります
1.リスクをおかしても、海外に進出する(進取の気性をもつ)
2.現地の従業員を大切にする(人を大切にする)
3.得た利益を新規事業に充てる(研究を大事にする)
4.相手の国のためになることをする(広く世の中のためになることをする)
こういったことを、やりきっているように思いました
もう一人は、森稔氏
森ビルは、アークヒルズなどで新たな都市開発の道を開いていきます
バーチカルガーデンシティという発想が、彼の哲学です
まだまだ日本のここそこに残る、狭い道と小さな家がたくさんあるエリア
そこを再開発し雲をつくような大きなビルをつくって、縦の”街”を形成し、周りの土地には緑を増やす
貴重な土地を有効利用する必要がある、狭い日本の都市部においては、小さなビルを沢山建てると、影ができるなどデメリットもある
むしろ大きな大きなビルを数棟建てたほうがよい
ちなみに地権者の方には、そのビルの一部の権利をお渡しする
そんな森ビルの思想に共鳴した、中国の上海市の要人は、森稔社長に声をかけます
ぜひ上海でやってほしい
海を渡って、莫大な資金を投下して、これまでの虎ノ門や六本木から離れて、事業を行うことを決意します
銀行も不安だってのではないでしょうか
ところが、最初の入居率こそ、経済環境が良くなかったため課題がありましたが、今ではほとんど空室もない、そして資産価値も、どんどん大きくなってきたようです
ここにも、決断した男がいました
大志を持ち続けるということの素晴らしさ
そのために、リスクがあっても、やりきるという覚悟をもって、決断することの、男たちの凄さに、感動しました
今日は、上海関連記事の第1回という位置づけで、書かせていただきました
皆様、明日から月曜日ですね
どうぞゆっくりお休みください