おはようございます
まだ、5時過ぎで、空の遠くにオレンジ色が見えてきていますが、まだ夜の帳が覆っています
この写真は、あるビルで展示していた、スペシャルオリンピックスのアスリートが描いた絵です
今日は、この間、ボランティアで参加した、スペシャルオリンピックスのナショナルゲームで経験したことをお伝えします
みなさん、スペシャルオリンピックスについて、お聞きになったことはありますか?
私は、昨年から知ったのですが、知的障がい者の方のオリンピックのことです
もともと、アメリカのケネディ大統領の妹さんが、自宅に知的障がいの方を招いて、デイキャンプを行ったのが、きっかけとされています
実は、ケネディ大統領の別の妹さんは、知的障がいの方だったことが背景にあったようです
その後、第一回の夏期国際大会がアメリカのシカゴで開催されます
そして、国際オリンピック委員会から、オリンピックの名称使用許可ももらうようになりました
日本でも、熊本からはじまって、細川元首相の奥様がかなり力を入れられ、今では、有森裕子さんが日本の組織の理事長をされています
スペシャルオリンピックスの目的は、スポーツを通して、知的障がいの方の自立や社会参加をめざすものですが、「日常的なスポーツ活動」を重視しつつ、成果を発表する場として、「競技会」も行うというのが特徴です
つまり、オリンピックのように、大会そのものだけを指すのではなくて、日頃の活動も含めるということで、オリンピックスという複数形になっているそうです
また、大会の特徴として、デビジョニングとよばれる能力に応じた組分けがされて、その中で、決勝が行われるため、いわゆるトップレベルのアスリートを選抜することが、目的ではありません
さらに、表彰も、順位分けされ、メダルも異なりますが、全員が表彰台に上がります
ここまで、少し前置きが長かったかもしれませんが、もうひとつ、印象に残る言葉をご紹介します
大会の時の宣誓の言葉です
「私たちは、精一杯力を出して勝利を目指します。たとえ勝てなくても、がんばる勇気を与えてください」
がんばる勇気を持つこと自体が、価値だということが、ぐっと胸にきました
本題ですが、私にとっての「特別」な経験とは、DAL(Delegation Assistnat Liaisons)という、大会期間中、競技会場で選手に帯同して、いわばアテンドをしていく役をやらせていただいて、感じたことです
ある九州地方からきた、バトミントンの選手が私の担当で、彼はコーチと2人で参加していました
まだ20歳で、身体は引き締まって精悍な感じですが、自分からコミュニケーションをとろうとはしません
コーチの方曰く、お母さんとは話すということだったように思います(どこまでかはわかりませんが)
ただ、動きは俊敏ですし、自分なりにいろいろと考えて行動しているように見えます
よっぽど、僕よりしっかりしているようにも感じました
でも、話しかけると微笑んでくれます
こう言ってはなんですが、知的障がいというイメージより、何かとてもショックなことがあって、人に対して閉ざしているだけのような気がしました
印象的だったのは、彼の試合内容でした
コーチの方も言っておられましたが、決してテクニックは劣っていないのに、試合運びで勝っていて調子の良いときはいいんですが、少し外してしまうと、ずるずるとサーブが入らなくなったり、凡ミスが続きます
これは、健常者でもそうかもしれませんが、彼が見せる攻撃的な構え(ラケットを顔の前の掲げる)とは裏腹に、心の中で、きっと焦りや怖さといったものと戦っていて、だんだんと気持ちが崩れてきているのではというのが、何となく感じられました
スポーツは相手との戦いというより、自分にいかに克つか、ということなんだなあと、実はあまり日頃、こういった競技スポーツに関心のない自分も、気が付きました
こういう感じで、予選の日は過ぎていったのですが、翌日、決勝の日、試合内容が少し変わりました
確かに、最終的には負けてしまったのですが、途中で追い上げていく場面が何回もありました
「大崩れしない」で、「自分に最善を尽くす」
勝てなくても、頑張る勇気を持ち続けるという、選手宣誓の言葉を思い出しました
つい最近まで、仕事帰りに、つい一杯と、アルコールで自分を痛めつけていた自分
焦燥感に駆られていた自分
ふてくされていた自分
少しずつ、家族の応援もあって、今ここから何とか続けていこうとふんばっていく自分をオーバーラップしました
自分自身に対して、うそをつかない、恥ずかしくない、正直に、チャレンジし続けるということの大事さを再認識しました
そういったことを気付かせてくれた彼に、またボランテイアで参加する機会をもらったことに、感謝したいと思います
有難うございました