ナゴタロの感謝日記

名古屋在住の50代前半、サラリーマンの日記です

フリーアドレス・・・!? オフィスのカタチとココロ

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おはようございます

 

今朝は、寝坊してしまいました

オフィスに通われている皆様

土日出勤の方もいらっしゃると思いますが、今週オフィスに通うのも今日一日ですね・・・

 

皆さんのオフィスは、どんなレイアウトですか?

 

私がいるところは、向かいあわせに机を2つくっつけて、それを横にずらーっと並べた島型の長方形が、平行に並んでいる、伝統的なスタイルです

 

実は、もう10年くらい前に、新しいビルに引っ越したときに、フリーアドレス導入

 

コミュニケーション促進ということで、レイアウトも、わざと動線もちょっと通りにくくして、ちょうど海の上に島が浮かんでいるような感じに

 

その時は、サービスを受ける側という意識でしたので、こりゃ、お洒落だなーくらいな感想でしたが・・・

 

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手書きで、しかも影がうつってごめんなさい

 

結論から申し上げますと、だんだんと、部署単位でゾーンが固定され

それぞれの、小島にキャビネがつくようになり、

 

人が増えたこともあって、対面式で横に連続した長細い島が、整然と並んだレイアウトになり

 

現在では、妙に小さい個人ロッカーだけが、名残となって残っています

 

ところが、昨今の働き方改革の掛け声の中で、ふたたび、レイアウトを見直そうと言うことになり、若手社員が指名され、プロジェクトがはじまりました

 

はじめは、会議室の方の仕切りなどを無くして、大改造していこうとしたのですが、

実際の想定金額を見て、その大きさに、本当にここまでやるのかという話になり、

 

什器を入れ替える程度で、なんとかすませられないかという方向になってきています

 

ポイントは、

①「フリーアドレス」+無線LAN

 

②「ファミレス席」+モニター

(補足です)

・文字通り、背が高いボックス型の席です

・隣との仕切りが自然につくれます

・個別の座席でないため、多少詰めて座れるようになっています

・モニターが横に置かれています

 

このファミレス席は、PCを端に置いて、ペーパーレスで打ち合わせができることになります

 

①と②について、私も方向性は賛成です

 

特に②については、今、自分自身、既存のもので、率先してやっています

 

意外にできてしまいますし、紙がない方が、ストレスがたまらなくなってくるのを感じています

 

もともと、ボヘミアンな私は、カフェとか、気持ち良い季節には、桜の木の下や、紅葉の彩りの下で、一人仕事も、打ち合わせもしてみたいです

 

実際、面談とかは、こっそり、そうしてます

 

だから、特に②と、①の無線LAN化は進めたい

たとえ規模を縮小してもやった方がいいと思います

 

ただ、気になるのが、「フリーアドレス

 

人間、オフィスでも、拠るべき何かがほしい

 

やっぱり、長い時間、過ごすところで、自分が安心して居られるところがあるというのは、大事な事だと思うんです

 

例えば、バス旅行で、最初に座った座席

そのあと、途中下車してまた戻った時も、同じところに座ることが多いのではないでしょうか

 

余談ですが、個人的には、「緑」(植物)も自分のテーブルにおきたい

まあ、これはフリーアドレスでもできますが

 

むしろ、席替えを頻繁にやってはどうかと思います

 

どうしても、島文化ができやすい

いわゆる、人にも島にもラベリングができてしまう

 

決して変化を嫌う訳ではないですが、毎日毎日、居場所を見つけるのは疲れる気がします

 

気持ちよく働きたいし、

仕事が捗るといいなー

 

そのためのオフィスレイアウトのカタチだと思うんですが

 

これから、フリーアドレスについて、もっと目的を掘り下げたい

 

人の感性と馴染む方法を考えたいと思います

 

今日は、少し中途半端でごめんなさい

問題提起で終わってしまいました

 

それでは、皆さん、今日も元気にいってらっしゃい!

 

 

 

 

 

苦手な人への心の鎧(ヨロイ)について

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おはようございます・・・

と言いつつ、夜の写真でごめんなさい

 

昨晩から点灯した、名古屋駅周辺一帯でのイルミネーション(「名駅イルミ」)

 

人は、太古の昔、満天の星空の下、焚き火を囲んで、狩をして得た獲物を火にかけ、老若男女、談笑しながら、くつろいでいたことと思います

 

そして、ご先祖様の記憶が、受け継がれて、私達も「灯かり」を見るとほっとするのではないでしょうか

 だからこそ、焚き火も、イルミも、一人じゃなくて、パートナーや誰かと一緒に眺めて、じんわりとした気持ちになれる

 

その時は、あーこいつ苦手だなあ、とかいやだなあ、という感情は忘れています

大げさに言うと、人が寄り添って暖めあうというか、大自然への畏れの中で、無意識の中で、「仲間」意識が芽生える気がします

 

でも、昼間はそうではないんですよね

 

昨日、あー苦手や~この人と思う瞬間が、2人~3人くらいの相手に対してありました

固定メンバーなんですが(笑)

 

ラベリングせんとこ

ゼロベースで入るんや!!

 

と思おうとしても、自分の心は言うことをきいてくれない

 

その人を五感で瞬間的に察知して、鎧(ヨロイ)というか、

 

「コノヒトは、価値観ガ、チガイマス」というのと、

たぶん「こわい」んだと思う

 

認めちゃいけない・・・

自分が壊される、攻撃される・・・

この人に、この人の価値観に

 

そうなると、コミュニケーションもすごーくぎこちなくなってしまう

素直になれない

 

そのうちの一人は、僕の隣に座っていて、メンバーです

 

そして、私が苦手と思うのと同じくらい、たぶん彼もきついんだろうなーと、毎日感じています

 

ある時期から、昼休みは、必ず12時ぴったりにいなくなり、午後1時前ぎりぎりに帰ってくるようになりました

 

あーオレと顔合わしたくないんやろなーと思います

 

でも彼も、努力してくれていると、感じます

 

ここ最近、僕も、彼とコミュニケーションするとき、気持ちを向けて話せるようになってきました

 

すると、彼も真剣に受けとめてくれるようになってきたように感じます

 

11月半ばまでに、あるちょっとボリュームのあるマニュアルをつくりあげることにしていて、最近、毎日時間を決めて、彼と2人で作業しています

 

だいたい僕がリードして、「ここをこうしよう」と言うと、彼も真剣に、「ここはこう思います」とはっきりと言ってくれます

 

ちゃんと2人でつくれている

これは、素直にうれしい

 

今のところ、

<ステップ1>

1.苦手やなーと思う、自分の感情はそのまま認める

2.朝、まずしっかりと、その人に向けた「おはようございます」から会話をスタートする

 

※朝出社したときの、職場の周りの人への、「おひゃようございまーす」という掛け声はカウント外です

 

<ステップ2>

3.雑談してみる

 

・職場にまわってきた「お菓子」が美味しかったら、うまいな~と言いながら、彼にちょっと顔を向けてみる

 

・すこし2人の間でできてきた、「これこうだよねー」といった共通の価値観を大事にする → ときどき、ギャグというかネタというか、ひっぱる

 

・2人とも、本はきらいではないので、最近ヒットした本の感想を言ってみる

→ もし興味がありそうだったら、貸しますよ・・・という流れに

 

4、リスペクトの感情をほんわかとイメージする

 

俺も大事

彼も、同じくらい大事

 

魔法の言葉『リスペクト』の感情を、その言葉に紐ついた良いラベリング(尊敬できる出来事)とともに、心の中にともす

 

5、感謝の気持ちを持つ

誰かが、一緒に居てくれることは有難いことだと思います

やっぱり、一緒に狩りにいってくれる仲間です

夜になって、焚き火を囲めます

 

今書き出してみましたが、2人の間で、小さな「信頼関係」の成功体験を積み上げていければなあと思います

 

そして、いつかこの時のことを、感謝と共に思い出せるようになりたいです

 

また、ここを突破口に、その他の苦手な人にもアプローチしていける勇気の素を、たくわえていきたいと思います

 

それでは、皆さん

今日も元気に、行ってらっしゃい!

2年目社員の矜持

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おはようございます

 

きのう、会社であった、”「はっ」としたこと”です

 

午前中に、隣の部署のある2年目社員に、「今日の夕方4時に、打ち合わせしたいのでよろしくね」と言って、約束しました

 

午後3時50分頃、あと資料がもう少しでできるけど、間に合いそうに無いと思った私は、少し打ち合わせを伸ばしてもらうか、不完全でも時間通りに打ち合わせに持っていくか、迷っていました

 

その2年目社員は、かなり距離はありますが、向こうの方で見えるところに席がありますが、彼女を見ていると、一生懸命資料作りに没頭しているように見えます

ひょっとすると、声をかけないと、約束の時間に気付かないかな~と思いました

 

午後4時ちょうど、すっくと、彼女が立ち上がります

「おっ」

 

資料は、ちょうどPCの「印刷ボタン」を押したところ

あわてて、プリンターの方に小走りに行って、とってきます

 

彼女は、そのまま、自席で佇んでいました

決して、何か訴える様子もなく

 

そういえば、打ち合わせの場所、言ってなかったなー

 

私は慌てて、最近よく借りている彼女の席の近くのテーブルの方を示して、

一緒に席につきました

 

たぶん1分弱くらいだったかもしれません

 

彼女は、私を凝視していたわけでもなく、

すくっと立って、柔らかな雰囲気を醸しながらも、そのまま「指示をお待ちします」の状態で、待っていてくれました

 

そう私に感じさせました

 

その後も、彼女の持つポリシーをあらためて感じたことがもう一つありました

 

資料を見てもらって、気が付いたところがあったら言ってねと頼みました

 

15秒ほど、黙って目を通しています

 

口を開くと、「今回初めて、この役目をやることになって、~については不安でしたが、この箇所は、具体的に書いてくださってので、よく分かりました」

と言ってくれました

 

その言葉が、私の心に向けて、すーっと入ってきました

 

不思議ですが、人は表面的に言っている場合と、心から言っている場合と、なんか違いが分かりますが、素直にそう思ってくれてるんだなと感じました

 

その後、冷静な口調で、「ここは、こういうことでしょうか?」と質問してきます

それは、”純粋にわからないので、教えてください”というメッセージそのものです

 

私も補足しながら、あーここは自分でも、詰めてなかったなーと気付きます

「ここはこういうことにして、書き足しておきます」ということになりました

 

気が付いてみると、気持ちよく資料を修正することができましたし、彼女に対して理解してもらいたいことも伝わりました

 

そういえば、いつも彼女とのコミュニケーションは、

 

①「ありがとうございます (ここは助かりました、良かったです)」メッセージから受け取って、

 

②次に、冷静に「ここはこう感じます」(I(アイ)メッセージ)につながり、

 

私は非難されたと感じることなく、

”ここ改善せんといかんなあー”と思わせる形で、終わっていました

 

2年目ではありますが、彼女にはスタイルがあり、矜持があります

もうベテランのはずの私は、彼女に助けてもらい、教えてもらっています

 

あーこりゃいかん、恥ずかしい姿は見せられんなー

そう素直に感じさせてくれる彼女をリスペクトです

 

そして、感謝したいと思います

 

それでは、皆さん、今日も元気に行ってらっしゃい!

 

 

日々の小さな「晴れ」を持ちたいですね・・・

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おはようございます

夜明け、刻々と周りの景色がうっすらと見え始めてきます

 

毎日、あきずに繰り返してくれる、この光景

 

「晴れ」の日は、朝早く起きれば、すがすがしい気持ちを味わうことができます

 

今日は、「はれ、け、けがれ」という考え方と、私達の日々の過ごし方についてふれてみたいと思います

 

はれ」は、よく「晴れの日」と言いますが、非日常で、それこそ「晴れがましい」、「心が晴れる」状態を指します

 

」は、実は食べ物をさしていて、日常を指します

御食国」と書いて、「みけつくに」と呼びますが、古の頃、大王(天皇)に、海産物を貢いだとされる「志摩国」がそれにあたります

 

けがれ」は、穢れとも書きますが、もっと直接的に、汚れといってもよいでしょうか

 

私たちは、当たり前ですが、毎日食べ物を食べないと生きられませんから、これが日常というのも、そういえばそうですね

 

そうして、日々暮らしていると、ゴミが出ます

物理的な汚れです

 

心に澱がたまります

精神的な穢れです

 

ゴミは見えやすいですが、精神的なもやもやは、本人も気付かないかもしれない

 

家庭は家庭で

会社は会社で

 

それは、人が社会生活を営んでいく上で、人付き合いをしていく中で、やむを得ない気がします

 

ただ、その心の澱が閾値を越えてしまうと、大変なことになります

 

仕事が忙しすぎたり、職場でのストレスが続いたり、あるいは何かの喪失感から立ち直れなかったりすると、心の病をもたらすかもしれません

 

この「ケ」が続いて「ケガレ」が溜まることに対して、「ハレ」によって、”一掃”することが大事になってきます

 

「ケガレ」は、何となく印象も良い、悪いというイメージつきで”ラベリング”されそうですが、人にとって免れ得ないもの、いわば人が生きる上で、必要な定めとしてつきあっていくものだと思います

 

最近、私が気になっている「遊び」という行為は、日々の小さな「ハレ」をつくるための、無意識のイベントだとも思います

 

ただ、今日お伝えしたいことは、なぜ僕があんまり「遊び」が無くても、なんとか?正常に生きていけるのか

 

それは、「断捨離」や「掃除」をしているからではということを発見したことです

 

私の部屋には、本が沢山ありますし、古くからの友人にはよく、「いい本があったら教えてくれ」と言われます

 

これは自慢ではなくて、あーいかに、おれは頭でっかちに生きてきてきたんだなーといいう反省につながっています

 

その本たち、これまでの私の人生の第〇の伴侶?を、どんどんと手放しています

そう、メルカリを使った断捨離です

 

それから、最近実は気に入っているのが、自分の娘の上履きを洗うことです

 

単なるMでは?

 

いえ、ブラシで力づよくこすると、泡がもしゃもしゃと立って、靴の前の方の黒いところが、落ちていくのが、すがすがしいんです

 

つまり、「断捨離」や「掃除」が、日々の小さな「晴れ」をつくってくれていると思うんです

 

よく、禅の世界では、掃除がとても大事だと聞きます

 

最近、朝、隣の一般職の女子社員が、同じ島の他のメンバーの机を拭いてくれています

 

かなりのベテランの方で、昭和的な光景にも思えますが、「掃除」によって、自分自身、職場に「晴れ」をもたらしてくれているのかもしれません

 

日々の「け」によって、「けがれ」がつもる

 

物理的な「けがれ」は、「掃除」によって

精神的な「けがれ」も、「掃除」を通じて

 

日々の小さな「晴れ」をもたらす機会を重ねていければと思います

 

長くなりますが、さらに、僕にとっては、日々のジョギングが、精神的な「けがれ」を振り落とす、ルーティーンになっていますが・・・

 

それでは、皆様、今日も元気に、行ってらっしゃい!

都会のオアシス「てんしば」で、サーフエクセサイズ!

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おはようございます

昨日は、皆さんいかがお過ごしでしたか

 

上の写真は、「てんしば」というところの昼少し前の光景です

気持ち良さそうでしょー!?

 

日曜日、私は、大阪は「天王寺」まで、または「阿倍野」とも言いますが・・・

東京で言えば、上野(勝手に決め付けてごめんなさい)のような、ちょっと庶民的なターミナル駅まで足を伸ばしました

 

目的は、「ハルカススカイラン」という階段登り競走大会の視察のためです

 

朝、6時過ぎに自宅を出発、新幹線で8時30分くらいに到着しました

 

階段登りマラソン大会「ハルカススカイラン」は、昨年から、「てんしば」という、近くの芝生広場を、待機・イベントスペースとして活用しています

 

「てんしば」は、とーっても気持ちがいいところです

 

昔は、正直、あまり家族連れが近づきにくい、ディープなところでした

 

いまや、入り口からおしゃれな飲食中心の路面店が並び、おそらく代官山の一角を切り取ってきたといっても、言い過ぎではないロケーションになっています

 

ということで、とくにイベントがなくても、最近は土日になると、家族連れが来て、お弁当を広げたり、くつろいだり・・・

 

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ちょっと時間が早かったので、これは人がまばら

 

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ボーネルンド・・・、おしゃれな子供向けのお店のプレイランド

 

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え?これは何?

サーフボードですね・・・

 

実は、この「てんしば」の感心ポイントですが、脇っちょに、ちょっとしたスポーツゲームが出来るコートがあるんです

 

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そこで、開催されていたのが、東京2020応援企画ということで、少し控え気味ですが、おそらく大阪市さんや、オリパラ実行委員会が、ハルカススカイランとタイアップして、ちょうど人も集まるし、盛り上げようとしたイベントをやっていました

 

ここが、ちょっと地味だけど(すみません!)、意外におもしろかったです

そこで個人的にヒットだったのが、サーフボードを使ったエクセサイズ

 

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サーフボードエクセサイズ

 

サーフボードエクセサイズというらしいです

 

インストラクターのお姉さんにしたがって、文字通りサーフボードの上に使って、そのバランスをとることの難しさを活かしながら、ポーズをとります

 

一緒に行った人たちも、レースの前に軽い気持ちで参加しましたが、これがなかなかのエクセサイズだったようです

 

5人同時にやっていて、女性3人、男性2人

 

明らかに、女性の方は上手です

 

うまくバランスをとって、足を上げたり、廻したり

 

太っていて、これは大変では?(失礼しました)という女性の方も、意外に軽々とこなされていました

 

ちなみに、身体のバランスが崩れていると(いわゆる整体とかでいわれるものです)、どちらかの足上げがうまくいかなかったりするそうです

 

やってみると、まだぜんぜん違うんでしょうけど、持久力、バランス、筋力をつけていくことができそうだし、運動もバリエーションをつけてトライしてみるのもいいかなーと思いました

 

そして、お約束の「遊び」の定義でのスコアは!?

 

カイヨワさんはおっしゃっていました

 

遊びとは、

①自由で自発的

②隔離されている

③結果が未確定

④非生産的

⑤規則がある

⑥虚構(明白に非現実である)という特別な意識がある

 

はい、①~⑥、ちゃんと当てはまります

 

6点満点、とくに⑥が優れていて、

 

「陸(おか)の上で、サーフィン」

「サーフボードの上で、ポーズをとる」

 

というのが、なんとも、可笑しくてグッドです

 

どや!?

「遊び」みつけたで~

 

でも、私の先輩には、言えないですね・・・

もし自分がこのサーフボードエクセサイズにはまっても、

きっと、ねらいは、女性会員やろ!?とちゃかされそうです(笑)

 

それでは、みなさん、今日も元気にいってらっしゃい!

 

 

 

 

遊びがないと、つまらんのちゃう?(それはボッチャからはじまった)

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こんばんは

皆さん、Office de Bocciaってご存知ですか?

 

就業後、オフィスのロビーや会議室に、近所のオフィスワーカーが集まって、気軽にボッチャを通じて交流しようという企画です

 

経済界協議会という団体が推奨しています

 

障がい者の方も含めて、「誰もができる」という面での裾野の広さもあります

 

1.ボッチャとは

 そもそも、ボッチャというのは、ヨーロッパでできた、脳性まひの人や重い障害をもった人のために考案されたスポーツで、パラリンピックの正式な種目です

 

 カーリングに似ていて、障害の有無に関わらず、楽しめるスポーツです

 

どんなスポーツか、簡単にご紹介したいと思います

もう、知ってるよ・・・という方は、読み飛ばしてください

 

コートは、体育館でも、オフィスのロビーでも、会議室でも、ちょっとしたスペースがあれば、OKです

 

養生テープで、コートの線をひきます

上の写真を見ていただけると、分かりやすいです

 

はじめに、どちらかのチームが白いボールを投げて、目標となる白ボールの位置を決めます

 

あとは、2チームが順番に、持ち玉を投げていって、全部投げ終わったら、どちらのチームのボールが多く、その白いボールに近いところに集まっているか、ということを競います

 

上の写真では、赤ボールが白ボールにぴったりくっついていて、少し離れたところに青ボールがあります

 

この時点では、赤ボールを持っているチームが有利です

 

さらに、このチームは、今投げようとしている赤ボールと、まだ投げる位置に残っている赤ボールが、それぞれ1つづつあります

 

一番近い、相手側の青ボールより、どれだけ赤ボールが内側に入るかで、得点が決まります

 

ですから、この時点で「自爆」しない限り、赤ボールを持っているチームは、1点以上、さらに点数を増やすことができる可能性があります

 

自爆といったのは、間違って折角、白ボールに近いところにある、自チームの赤ボールや、目標となる白ボールがはじきとばされると、おじゃんになってしまうからです

 

逆に言うと、ゲームの途中で、白ボールを、自分のボールで動かしたり、相手のボールをはじきとばしたりできるため、形勢は容易に逆転できます

 

2.ボッチャの特色

ボーリングと比較すると、

・ダイナミックさや、ストライクをとったときの爽快感には欠ける

・ストーリー性や、チームとしての一体感で優る

・体力や運動神経は、それほど問われないが、球技としての面白さはある

・1人1人の動きを両チームが見ているので、場を共有しやすい

という特徴があります

 

本当に、即席で知らない人同士が「誰とでも」チームをつくって楽しめます

 

3.ボッチャの応用的な使い方 

(1)真面目編

このボッチャ、オフィスの会議室とかロビーでできるというのが、ミソではあります

 

つい数ヶ月前に、お客さんに貸し出している、営業用の会議室で、ボッチャのボールを貸し出すサービスをしたらどうか、というのを、営業部門の役員に提案しました

 

たとえば全国の支店から人が集まってくる会議などで、アイスブレイク代わりに使ってもらえるのでは?と思ったからです

 

すると、役員曰く、「ええやないか・・・今日は冴えてるな!」ということで、営業部門に指示が下ったそうです

 

 ただ、いつの間にか、話が立ち消えになってしまいました

 

(2)遊び編

 

おすすめしたいのが、合コンや新歓活動でのアイスブレイクとしてです

 

男女を問わず、まったく知らない人同士が、3ゲームくらいすれば、ハイタッチくらいはしてもいいくらいの感覚になります

 

 

なお、1ゲームに要する時間が短く、即席でチームがつくれるます

 

その特徴を活かして、

・婚活パーティー

・小さな会社の新年会やクリスマスパーティー

などで、沢山の人とチームを組み直して、より多くの人と交流する場にも適しています

 

と、ここまではボッチャの話をしていますが、実は話の前振りです

 

4.次に続く・・・オレは「堕落した遊び」ばかりやっているのか? 

さて、長々と書いてきましたが、昨日、金曜日の夜に、他の会社の方と一緒に、オフィスの会議室で、このボッチャの練習会をやりました

 

その後の懇親会で、ある人から、

 

”ナゴタロ”(実際には、私の名前)は、真面目なことばっかりやってて、遊びがなくて、おもろないなー と言われたのです

 

どきっ

 

オレ、ホンマに遊んでないんかな?

おかしいんかな、人間として・・・

 ということで、明日以降にこの話は続きますが、もうひとつ「遊び」の定義について

 

お前、アホちゃうか? 遊びまで定義つけんなや!というつっこみは、どうかご容赦ください

 

フランスの哲学者のカイヨワさんは、「遊びと人間」という本を書いています

 

遊びとは、

・自由で自発的

・隔離されている

・結果が未確定

・非生産的

・規則がある

・虚構(明白に非現実である)という特別な意識がある

としています

 

そして、このような定義から逸脱した遊びは、「堕落した遊び」であると言っておられるそうです

 

私にとって、ボッチャは、会社の中での私の役割と結びついていて、必ずしも、100%自由で自発的とは言えません

オフィスワーカー同士の交流やアイスブレイクという目的がありまリ、意味をもたせています(→少し、生産的な面もある)

 

つまり、「堕落した遊び」です

 

あー、俺は、ホンマ、すべてに「意味づけ」を求めすぎる人生を送っているのか

 

ジョギングですらも、心をリセットしようという目的があるから、遊びとは言えない

 

俺は、遊びができなくなってしまった、堕落した、不健全な人間なのか・・・  (続く)

 

そろそろ、失礼して布団に入ります

明日は早起きして、あべのハルカスの階段マラソン視察に行きます

「遊び」ではありません「仕事」です・・・(泣)

 

おやすみなさい

県知事の覚悟 島田叡(しまだあきら)氏

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おはようございます

 

今日は、ちょっと重たい話題です

たまたま、昨日選挙からみの関係の話をききました

 

私は政治の世界は、できるだけ関わりたくない

そう思っていましたし、今でも基本は変わりありません

 

政治、経済、文学・・・

いろいろ世の中が動く、動かされる仕組み、仕掛けはありますが、

経済というか、実業の世界が、正直一番健全な気がします

 

もちろん、政治も文学も、必要なものですが、

自分が一線を引こうとしているのは、そこに頭をつっこむと、のめりこんでしまいそうで、こわいというのもあります

 

そういう中で、ネットサーフィンをしていたら、

戦中の沖縄県知事で、島田叡(しまだあきら)さんという方の存在を見つけました

 

政治の世界でも、リンカーン大統領とか、ケネディ大統領とか、理想を掲げて力を尽くす中で、凶弾に倒れるという方が、英雄視されることがあります

 

この方も、それに近いかもしれません

戦時中に、死ぬ可能性が高いことがわかっていながら、沖縄に赴任して、力を尽くし、最後は亡くなります

 

名知事として、今でも沖縄の方から敬愛されているそうです

 

東大時代は、野球部のスター選手で、ラグビー部ともかけ持ちするなど、スポーツマンだったそうですが、彼は、1945年1月、もう沖縄へ米軍が上陸することがわかっていたときに、沖縄県知事の打診を受けます

(戦前は、官選でしたので、選挙はありません)

 

当然、死ぬことを覚悟したことでしょう

 

赴任すると、軍との関係改善、県民疎開、食糧の分散確保など、実務的なことを、きちんと進めていき、県民からの信頼を得ていきます

 

また、思いやりをもっていたことが、いくつかのエピソードで伝わってきます

 

女性の職員が、井戸や川から水を汲んできて、洗顔を進めても、

「命がけで水を汲んできてくれたのだから、おそろかには使えない」といって、ほんの少ししか水を使わなかったり

 

また、これは大局から見れば、判断として意見が分かれると思いますが、軍の首里からの撤退と南部への転進については、「南部には多くの住民が避難していて、巻き添えになるから反対である」と言ったそうです

 

以降、沖縄戦の状況にともなって、地下壕を移転させ、軍部との連携を持ちながら、指揮をとっていきますが、最後は、ある壕で自決をされたようです

 

島田さんの前任者が、現地になじめず、東京出張中に香川県知事に任命されて転任したことも知られていて、その対比で、島田氏の事跡が美化される傾向になりがちかもしれません

 

でも、兵庫県出身の彼が、本当に沖縄の人を思い、身を処して、任にあたったということは、間違いないと思います

 

私が感じたことは、

マネジメントをしていく立場の人は、こういったぎりぎりの局面での行動を通じて、信頼されるかどうかが、はっきりとしてくるということです

 

・厳しい環境下でも、必要であればその局面に自ら入り、

リーダーシップを持って任にあたる

 

・てきぱきと優先順位をもって、実務をまわしていく

 

・関係部署との連携を大事にする

 

・お客様やチームメンバーの気持ちがわかり、言動が一致している

 

また、その背景には、「覚悟」が必要なんだと思います

 

島田さんは、「葉隠」と「南洲翁遺訓」の考え方に、深く感銘を受けたとされています

 

すこし「葉隠」について書きます

 

葉隠」は、江戸時代の中頃、佐賀鍋島藩の武士が、「武士の心得」としてまとめたもので、私自身は、高校3年生のときに、塾の先生から教えてもらいました

 

「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という一節が有名で、戦時中の特攻などに、この言葉が引用されて誤解されることがあるそうです

 

その真意は、

自分の利害とか、表面的な感情から、物事を考えたり行動するのではなく、

本当に大事なことのために、身を捨てる覚悟で、処していく

ことが肝要という意味です

 

島田さんは、きっと、いろんな意味で、「葉隠」を体現されたのではないでしょうか

 

今日は、空も澄み渡り、穏やかな朝を迎えられました

 

自分自身に対して、まっすぐな気持ちで、

周りの人に対して、相手が伝えたいことに耳と心を傾けて、一日を過ごしていきたいと思います

 

皆様、今日も元気に、いってらっしゃい!